●滝川幸辰 たきがわゆきとき
アジア 日本 AD1891 明治時代
1891〜1962(明治24〜昭和37)岡山市出身の刑法学者。1915年(大正4)京大法科卒業、京都地方裁判所判事をへて1918年(大正7)京大助教授、1924年(大正13)同教授となる。刑法学者としては旧派の古典学派に属し、刑罰の本質は応報、内容は苦痛、目的は社会秩序の維持にありと主張し、新派の主観主義派で教育刑を唱える牧野英一(東大)らと対立した。1930年代に入るとマルクス主義学生運動に同情し、刑法の階級性を強調するようになった。1933年(昭和8)文部省は滝川学説が共産主義的だとして休職処分に付し、これに抗議して京大法学部全教官が辞表を提出し、学生もこれに呼応するという事件が発生した。これを滝川事件という。結局教授・学生側の敗北に終わり、滝川は他の7教授とともに退官した。戦時下を弁護士としてすごしたあと、戦後1946年(昭和21)京大教授に復帰、法学部長として法学部の再建にあたった。1953年(昭和28)京大総長に就任したが、学生運動としばしば対立し、1957年(昭和32)任期満了で退官した。〔参考文献〕滝川幸辰『激流』1963、河出書房