●高山彦九郎 たかやまひこくろう
アジア 日本 AD1747 江戸時代
1747〜93(延享4〜寛政5)江戸中期の尊王思想家。京都公卿との交流をはじめとし,30数カ国を歴遊して尊王的言動が影響力をもった。上野国新田郡の郷士の家に生まれ。名は正之。10代のとき『太平記』を読んで心を動かされ上洛,河野恕斎に師事した。いったん帰郷し再度上京,諸国の同憂の士との交遊を深め,京畿の南朝関係遺跡の踏査も行っている。郷里で天明の一揆を鎮めようとして説得が不成功に終わったこともある。その後は京都中心に活躍,宮中で節会を拝観し,堂上貴族との交流も浅からぬところがあった。寛政5年,光格天皇と松平定信との確執が表面化した閑院宮尊号事件を大いに憤り,久留米まで赴いたが幕吏の横暴をにくみ自刃した。知識人の抗議行動としておこりうる形態であったといえなくもない。林子平・蒲生君平とともに,世に寛政三奇人,あるいは三奇士と呼ばれ後世にも賛仰された時期がある。京都京阪三条駅前には御所を拝する銅像がある。