●高山右近 たかやまうこん
アジア 日本 AD1554 室町時代
1554〜1615(?〜元和1)高山長房ともいう。安土桃山〜江戸時代前期のキリシタン大名。摂津国高山の人。高山飛騨守の子。名は右近・右近大夫・友祥・重友,号を南之坊等伯。受洗名はドン=ジュスト。1573年(天正1),摂津の荒木村重と通じて高槻城を乗取り,村重の家臣となる。村重が信長へ謀叛するとき,右近は宣教師の手で信長に奪いとられた高槻城に教会の保証をとりつけ,明智光秀の配下に入る。山崎の合戦の前に秀吉方につき,光秀と戦う先鋒となり,以後秀吉の組下となった。摂津高槻城主(7万石)。翌1583年(天正11)5月賎ケ岳の戦いで佐久間盛政の猛襲をうけ,秀長の隊へ逃げ,小牧の戦いにも参加。紀伊浜城攻撃にも阿波−宮城攻撃にも参加,明石城主となったが,九州征伐にも従軍,大友吉統・小西行長・黒田如水(にょすい)らを洗礼。同年,キリシタン禁令により,明石城を没収されて,以来小西行長・前田利家を頼り,剃髪して南之坊等伯と号した。小田原城征伐に利家麾下として参加。その後寄食。関ケ原の戦いで利長軍に参加。1614年(慶長19)家康のキリスト教禁令により,追放をうけ,マニラへいく。茶人としても有名。
![]()