●高島嘉右衛門 たかしまかえもん
アジア 日本 AD1832 江戸時代
1832〜1914(天保3〜大正3)幕末・明治初期の実業家・易学家。江戸三十間の材木商の子。幼名清三郎,名は呑象。14歳のとき鍋島藩奥方の住居請負・大工棟梁・三十間堀材木店営業・建築請負業を行い,1858年より鍋島藩物産売店を横浜へ出し,肥前屋小助と名のる。その後,金銀相場に手を出し下獄。獄中で易を独学し「高島易断」第1歩を歩む。1865年(慶応1)出獄,横浜材木商。1867年イギリス仮公使館工事請負。外国人建築家ビシンと親交をもち,灯台局・鉄道工事・鉄道用地埋立などにつとめ,1870年(明治3)高島学校。1868年ガス会社・神奈川県庁請負などつとめる。その後,日本鉄道建白をし,1876年(明治9)財界を引き,神奈川大綱山で易学に親しむ。1892年北海道炭礦建直しに参画,財界に復帰。愛知セメント・高島農場・東京市外電鉄社長などをつとめている。著書には『高島易断』(1894)・『高島嘉右衛門自叙伝』(1917)などがある。〔参考文献〕刊行会編『乾坤一代男』1956
大野太衛編『高島翁言行録』