●高砂族 たかさごぞく
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日本が台湾を領有していたとき,未だ文明の影響を受けることなく,固有の習俗を保持していた台湾の原住民に与えられた通称である。【沿革】台湾原住民がいつ,どこから,どのような経路を辿ってこの島に来住したのか明らかでない。しかし,その来住はかなり古く,しかも異なったところからいくどかの移動の波にのって来たのであろうことは彼らの口碑伝承や近隣諸民族との比較研究によってうかがい知ることができる。17世紀に漢人の大陸から台湾西部平地への入植が活発になると,平地に居住していた原住民はしだいに山脚地帯に押しやられ,漢文化の影響を受け,彼らの固有文化を失っていった。他方山地や東部平地を占拠していた原住民は,漢人から隔離され,日本統治時代まだ彼らの固有文化を多く残していた。そこで統治上,前者を熟蕃または平埔族,後者を生蕃,のちに高砂族と称した。しかし彼らの言語はすべてオーストロネシア語系で,民族学上平埔族も高砂族と同系統の台湾原住民と考えねばならない。
【種族と人口】高砂族は一般に9種族に分けられる。1929年の『蕃社戸口』による各種族の人口と居住地域は次の通りである。アタヤル族3万3,677人,中央山脈北部の峻険な山地から山脚にいたる広域を占拠。サイシャット族1,282人,最小の種族で,アタヤル族に隣接する北西部の山地に居住。ブヌン族1万8,072人,中央部山地の広域を占拠。北にアタヤル族,南にルカイ族,東にアミ族,西にツオウ族と境界を分つ。ツオウ族2,103人,中部山地西方の比較的狭小な地域に居住。アミ族4万2,028人,最大の種族で,東岸の海岸山脈と中央山地帯のあいだの平地を占拠。プユマ族5,236人,台東平野の山脚寄りの狭小な地域。ルカイ族5,579人,南部山地,パイワン族の北に接す。パイワン族3万199人,本島の最南端にいたるまでの南部山地の広域を占拠。ヤミ族1,619人,本島の南東,太平洋上に浮かぶ小さな島蘭嶼の海岸地帯に居住。しかし日本統治末期から山地集落の山脚地帯への移住が奨励され,戦後は中国政府の指導でこの移住がほぼ完了した。現在中国語で学校教育が行われており,都市に働きに出る高砂族の若者も多く,漢人や異種族との結婚も稀でなく,若者を中心に漢人社会への同化が進んでいる。
【伝統文化と生活】高砂族は焼畑農耕によって粟・稗・陸稲・いも類を栽培し,狩猟も盛んに行い,豚や鶏を飼育して生計を立てていた。またアミ族とプユマ族は漢人に習い,早くから水田稲作も行ってきた。主食は北部では雑穀,南部ではいもへの依存度が高い。粟は全種族で儀礼用作物で,その播種から収穫までの成育段階にさまざまな儀礼を伴った。粟をめぐる表象は各種族の文化の諸相に固有の意味を与えている。独り海洋民であるヤミ族は漁労と水田でのタロイモ栽培で生計を立てている。とくに3月から7月にかけて回遊して来る飛魚を追う漁労活動に彼らの社会組織や規範や価値観が表現される。衣服は各種族とも自ら紡いだ麻糸をいざり機で織ったものが基本である。アタヤル族やサイシャット族は漢人より入手した色毛糸で美しい模様を織り出している。ルカイ族・パイワン族は刺しゅうが巧みで,黒や紺地の綿布にビーズや色糸で花・蛇・人体を刺しゅうする。入れ墨もアタヤル族・サイシャット族では顔面に,ルカイ族・パイワン族では男は胸,女は手の甲に施された。住民は山地居住の種族とヤミ族では竪穴式で,後者はカヤ葺の屋根はきわめて低く,家の前に高い石垣を積んで暴風に備えている。集落はアタヤル族・ブヌン族は小規模で点在し,アミ族・パイワン族などでは100戸を超える家が密集集落を形成する。また,パイワン族・ルカイ族・プユマ族の村は世襲制の首長家によって統率され,貴族層と平民層という社会階層制を有していた。高砂族は首狩・喫煙・飲酒・檳榔子の咀しゃくの風習でも知られているが,ヤミ族のみはこれらを知らなかった。
〔参考文献〕馬淵東一『馬淵東一著作集』2,1978,社会思想社