●高倉 たかくら
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柱を思いきり高くした穀物貯蔵用の倉。地域により四本柱・六本柱・九本柱などがある。1719年(享保4)に来島した中国の使節徐葆光の著書『中山伝信録』には,「米廩」と紹介されている。それによると,〈柱は地面から4,5尺高く,16本の柱がある〉としている。そのあいだは人が通ることができると述べている。しかしこれは構造的に現在みられる高倉とは異なっており,当時の高倉の一形態か,もしくは都市周辺地域の地方色をとらえたものと思われる。柱を高くして通風をよくすることにより,湿気を防ぎ,その構造によって鼠害を防ぐ。古くは,稲を藁ごと収納した。倉をもたない一般の家庭では,庭に台石を置いて床を敷き,その上へ稲束を積みあげた。この稲塚のことを沖縄本島ではマジン(真積),八重山地方ではシラといった。一般に奄美地方の高倉は,壁がほとんどみえないのに対し,沖縄地方のものは壁を高くつけたところが構造上の大きなちがいである。
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