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●高岳親王 たかおかしんのう

アジア 日本 AD780 奈良時代

 780〜816(宝亀3〜貞観8)平安時代初期の皇族・学問僧。真如法親王ともいう。平城天皇の第3皇子。809年(大同4)嵯峨天皇の皇太子となり,蹲居太子ともいい,薬子の乱で廃立される。のち仏門に帰依され弘法大師の弟子となり,名を真如と改む。また偏明ともいわれ,弘法大師の十大弟子の一人となり『胎蔵次第』を著す。阿闍梨となる。その間東大寺の道詮・興福寺の修園らに律・三論・法相を学び,かつ空海より真言密教を得たほどの学問僧である。また親王の描いた「弘法大師像」は今一般に大師御影となっている。855年(斎衡2)奈良東大寺の仏頭が落ちたとき,修理検校として7年かけてこれを修復する。その後大師入定ののち入唐求法し,861年(貞観3)渡唐したが,良師を得られなかったため,インド求法を志し,勅許を得て従者3人とともに広東よりインドにむかわれた。ときに67歳,それから16年後の881年(元慶5)在唐僧よりの報告で羅越国で薨去したと『三代実録』にある。