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●台湾独立運動 たいわんどくりつうんどう

アジア 中華人民共和国 AD 

 台湾を範疇とし,台湾人を主体とするすべての住民による新国家の樹立を目的とする運動。

【前史】鄭氏王朝時代(1661〜83)は客観的には台湾独立の時代であったが,同政権が明朝の復興を理念にしていたため,独立した時代とみなさない史家が,多い。清朝統治時代(1683〜1895)の台湾は〈三年一小反,五年一大反〉といわれるほどに反乱が頻繁であり,なかには独立建国をめざすものも少なからずあったが,いずれも失敗した。1895年には台湾民主国の樹立をみたが,その基盤は弱く,148日で崩壊した。日本統治時代(1895〜1945)の武装蜂起でも台湾独立を旗印にしたのがあり,政治運動団体のうち1928年に結成された台湾共産党は台湾民族による独立国家の樹立を謳っている。しかしながら台湾人意識の形成過程にあったこの時期は,中国で勃興しつつあった中華民族主義の影響を受け,台湾人意識は中国人意識との境界をあいまいな形にしたまま,日本の敗戦を迎えた。

【戦後独立運動の歩み】日本が敗戦するや,中華民国は台湾を占領した。戦争による苦痛や台湾総督府の圧迫からの解放感もあって,台湾人はそれを歓迎した。しかし広汎な汚職に象徴される政治の紊乱は台湾人の不満を呼び,1947年に“二・二八事件”と称される全島をおおう大反乱がおこった。これに対する弾圧はすさまじく,数万の台湾人が中華民国政府によって殺害された。中国を祖国だと思っていた台湾人も,残酷な報復ぶりをみて,祖国との訣別を決意した。

 当時上海に仮寓中の廖文毅は,台湾から脱出した台湾共産党の謝雪紅らと1948年に香港で台湾再解放連盟を結成した。だが翌年に分裂し,謝は中華人民共和国の樹立直前にそれに身を投じ,廖は日本へ渡り,1950年に京都で台湾民主独立党を結成,1956年東京で台湾共和国臨時政府を樹立した。臨時政府は国連および諸国政府に台湾民族自決を訴えたが,冷戦の狭間にあって,東・西両陣営のいずれの支持をも得ることなく終わった。

 他方,世界各地で活動していた諸団体,全米台湾独立連盟(1956年結成)・台湾青年独立連盟(1960)・在カナダ台湾人権擁護委員会(1964)・台湾自由連盟(同)・全欧台湾独立連盟(1967)は1970年に合併して台湾独立連盟を結成,爾後,独立運動の中心になっている。主席は1973年以降,張燦洪金である。

 台湾独立をめざした主な事件は1950年の廖史豪事件,1961年の蘇東啓事件,1962年の廖蔡綉鸞事件,1964年の彭明敏らによる台湾自救宣言事件,1970年の蒋経国暗殺未遂事件,1976年の高雄変電所爆破事件,同年に副総統謝東閔を爆傷した王幸男事件,1979年美麗島高雄事件,1983年の台湾警備総司令部出入境管理処・中央日報社・連合報社同時爆破事件などである。

 文化大革命は台湾住民の中国に対する幻滅感をいっそう促進し,他方,1972年以降ますます明らかになった台湾の国際的孤立化は,台湾人の将来への危機感を深めた。この危機感に触発されて,台湾島内では1975年ごろから民主化運動が活発化した。これは国民党に加入していない台湾人政治家,〈党外人士〉とも称される人々を中心に展開され,1949年以来施行されている戒厳令の網の目をくぐっての運動であり,戒厳令の廃止,言論・出版・集会・結社の自由を主張している。

 中華民国政府(蒋政権)は台湾独立運動を反乱行為だとしてこれを弾圧し,民主化運動をその別働隊とみなして警戒している。中国共産党の場合,1936年延安にいた毛沢東は台湾独立支持の見解を述べているが,1949年に中華人民共和国を樹立して以降は,台湾の独立に反対するようになり,〈台湾解放〉や〈平和統一〉などのスローガンを掲げ,台湾の独立に反対する蒋政権に第3次国共合作を呼びかけている。

〔参考文献〕黄昭堂『台湾独立運動史』,月刊「台湾」1969年1〜4月号