●大陸封鎖 たいりくふうさ
ヨーロッパ フランス共和国 AD
ナポレオン1世がイギリスの経済力を破壊しようとした経済戦略の体制。ナポレオンのヨーロッパ支配にとってはイギリスが問題であったが,トラファルガーの海戦(1805)で艦隊を失い,軍事的解決の道が阻止されて,この体制が構想された。ナポレオンは大陸での軍事的支配を確立しながら,1806年11月,ベルリン勅令を布告,大陸諸国のイギリスとその植民地との貿易を禁止した。イギリスの対応に対して,1807年12月,ナポレオン=ミラノ勅令でますます体制を強化し,1810年11月,フォンテーヌブローの勅令で極点に達した。イギリスが経済的な打撃を受けた一方で,フランス経済も一時的には好都合であっても原料の供給などに弱点をもち,ほかのヨーロッパ諸国はより大きな経済的困難におちいり,ナポレオンからの離反・政治的解放につながっていき,この体制は,1813年には崩壊した。