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●平徳子 たいらのとくこ

アジア 日本 AD1155 平安時代

 1155〜1212(久寿2〜建暦2)平清盛の女。母は平時信の女時子。1171年(承安1)後白河法皇の猶子となり入内。高倉天皇の女御となり,翌年中宮となる。1178年(治承2)安徳天皇を生み,1181年(養和1)院号宣下により建礼門院と称した。1180年(治承4)8月,源頼朝挙兵により,平氏は全国に蜂起した反平氏勢力の討伐に転戦したが,敗北をつづけ,1183年(寿永2)7月,源義仲の入京をまえに,平氏一門は京都六波羅の邸を焼き払い,安徳天皇建礼門院を擁して西国に逃れた。1185年(元暦2)3月,長門壇の浦で平氏が族滅したとき,安徳天皇とともに入水した徳子は,源氏方に救助されて(『壇浦夜合戦記』),翌月京都に帰り,吉田の律師実憲の坊に入り,薙髪して直如覚と号した。その後,大原寂光院に閑居してその生涯を終え,寂光院裏の大原西陵に葬られた。なお源頼朝は1187年(文治3)2月,平宗盛の遺領摂津国真井・鳥屋両庄を建礼門院御領として贈っている。