●平忠盛 たいらのただもり
アジア 日本 AD1096 平安時代
1096〜1153(永長1〜仁平3)平安末期の武将。桓武平氏の一族で,伊勢守となり伊勢・伊賀に勢力をもった維衡を祖とする伊勢平氏の嫡流。清盛の父。白河上皇に仕えて力を伸ばした父正盛の後を受け継いで院勢力に接近し,北面の武士・院司として仕向,1113年(永久1)永久の強訴といわれる南都北嶺の僧兵の入京の阻止に活躍。また,西国の国司を歴任し,瀬戸内海での勢力を背景に西国の海賊追討にも功をあげた。鳥羽上皇の信任厚く,1132年(長承1)には上皇勅願の観音堂である得長寿院造営の功により刑部卿に進み,内裏昇殿を許されて平氏の地位を高めた。このことが当時の貴族の不満・反発をかい,忠盛を闇討にしようとの計画までたてられたが,忠盛が機転によってそれを逃れ,却って上皇の寵を受けたという逸話が『平家物語』のなかにみえる。日宋貿易にも従事してその利潤により財政基盤を固め,中央政界での平氏の台頭・政権の確立を導いた。