●平清盛 たいらのきよもり
アジア 日本 AD1118 平安時代
1118〜81(元永1〜養和11)平安時代末期の武将・政治家。法号清蓮・韓海。平忠盛の長子。母は『平家物語』には祇園女御とあるが『近江胡宮神社文書』によると祇園女御の妹,祇園女御の猶子。1129年(平治4)従5位下,左衛門佐,1146年(久安2)正4位下,安芸守。翌年祇園社僧兵と武士の乱闘事件に関係して賠銅30斤に処せられる。1153年(仁平3)父の死後平家武士団を率い1156年(保元1)保元の乱に参加,その功で播磨守・太宰大弐。1159年(平治1)平治の乱で藤原信頼・義朝を誅滅し,1167年(仁安2)内大臣,従1位,太政大臣。後白河上皇には妻滋子を納れ,所生の憲仁親王(高倉天皇)を皇太子,関白忠通の嫡子基実には娘の盛子を嫁がせ,その早亡後は家領を伝領した。山門とも結託,全国の半の知行国500余カ所の荘園と対宋貿易を掌握し,いわゆる六波羅政権を成立させた。重盛・宗盛以下高位高官となったが1168年(仁安3)一時危篤。その後福原に退隠したが政権に固執,1177年(治承1)鹿ケ谷陰謀,平氏打倒の動きが進むなかで死んだ。