●平忠常の乱 たいらのただつねのらん
アジア 日本 AD1028 平安時代
1028〜31(長元1〜4)東国の武将平忠常がおこした反乱。忠常は,反乱当時の記録に〈上総国住人前介平忠常〉〈下総国住人前上総介忠常〉などとみえ,現在の千葉県に相当する両総地方に大きな勢力を保持していた。その基盤は,国司の特権を利用して土地占拠を行い,農業経営を活発にすることによって一代で築き上げられたものといわれる。この勢力基盤を確保するため,1027年(万寿4)ごろには国司への反抗をあらわにし,ついに翌年,安房守惟思を殺害し反乱の火の手をあげた。朝廷は,忠常とは一族の平直方を追討使としたが,鎮圧に失敗。1030年(長元3),直方に代わり源頼信が追討使となると,忠常は刃を交えず翌年降服した。3年の戦乱による荒廃と,忠常が以前に頼信の従者となっていたこととが,降服の理由といわれている。忠常の子孫は上総氏・千葉氏となって両総に繁茂した。