●太陽暦 たいようれき
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太陽の運行だけを取り入れ,太陽年を基本用数とする暦法。太陽が春分点を出発して黄道を1周して再び春分点に帰る時間を1太陽年または1回帰年と呼び,約365.2422日であるが,歳差によって毎年5.3ミリ秒ずつ短くなる。太陽暦は1太陽年のとり方と,それをどのような暦月に細分するか,また年始をいつにするかによってさまざまな暦法を生むことになる。太陽暦では暦月の日数は任意に求められるはずであるが,ほとんどのものが30日を基準としているのは,太陰暦の暦月つまり朔望月との関連によるものと考えられる。古代エジプトのシリウス暦やマヤ・アステカの太陽暦では1暦年を365日としている。この数値は4年で約1日の誤差を生じ,実際の季節より暦日が先に進み120年で1カ月,1,460年でちょうど1年の差を生じる(ソティス周期)。両者とも1暦年は30日からなる12カ月と5日の余日(第13月)からなっており,フランス革命暦や現行エチオピア暦も同形式のものとなっている。ただし,後の両者は閏年を設けて暦年と太陽年との一致をはかっている。閏年は4年に1度の割で年末の余日にさらに1日を加える。これらの均一暦月法は毎月の日数が等しいという特色をもつが,年末に余日を置くため,年の前半と後半が不均等となっている。暦月の日数は均一ではないが,大の月と小の月を設けて,5日または6日の端数を12カ月のうちに配分してしまう方法はイラン暦などにみられるもので,ユリウス暦やグレゴリア暦の暦日配分法もこの一変形といえよう。イラン暦では年の前半を31日の大の月とし,後半を30日の小とする。この方法はパキスタンやアフガニスタンなどのイスラーム諸国にみられる。一方,ユリウス暦・グレゴリオ暦の各月の大小は古代ローマに起源をもつもので,当初31日と30日の暦月が交互したものから現在のように大小の配例が不規則になったものと考えられている。太陽暦の年始はそのごく原初的時代には冬至とか夏至のような,太陽の位置または1日の長短などが顕著な時点を選んだ可能性が考えられ,民俗学的方法による研究がすすめられているが,暦法として確実なものは,春分または秋分を起点とするものが多い。ただし,この場合にも太陰暦の影響・宗教的関連ないしそのほかの歴史的現象によって,春分・秋分からずれを生じる場合が少なくない。たとえば,ユリウス暦・グレゴリオ暦の新年は,春分を含む月(マルチウス)を新年とする古代ローマの太陰太陽暦を継承したものであるが,シーザー(ユリウス=カエサル)の改暦にあたって,新年を2カ月早めたものであり,本来は春分を新年としていたときのなごりである。イラン暦では正確に春分を新年としている。これに対してフランス革命暦では,秋分を新年としていた。太陽暦の新年は2至2分に限られるものではなく,ほかに顕著な天文上の現象が観測できればそれでよいわけである。古代エジプトの太陽暦(「シリウス暦」)では,シリウスが太陽の直前に東天に出現する“伴日現象(ヒライアカル=ライジング)”をもって新年としたし,エチオピア暦の年始は9月である。1太陽年の長さが365日と約4分1日であるところから,エジプト暦でも前3世紀以降,4年に1日の閏年を挿入していた隔年との調和をはかるようになった。これはユリウス暦に継承されたが,4年1閏では1暦年365.25日とするため,太陽年より約0.0078日大きくとるために,127〜128年に1日ずつ暦日が天象から後退する。グレゴリオ暦はこれを是正し,400年間に3回閏を省略し,1暦年を365.2425日とした。この結果1太陽年との差は約0.0003日となり,3,000年前後で1日の誤差を生じるにすぎない。19世紀以降,自然科学の発達に伴って,グレゴリオ暦の置閏法や暦日配分・週日固定などについて数多くの改暦案が発表されている。しかし,いずれの案もいまだに国際世論の賛成を得るにいたっていない。
〔参考文献〕フィネガン,三笠宮崇仁訳『聖書年代学』1967,岩波書店
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