●太陽 たいよう
アジア 日本 AD
明治〜昭和期に博文飾から刊行された総合雑誌。創刊号は1895年(明治28)1月5日に発刊されたが,それは日清戦争後の大衆文化の萌芽に呼応して,商業主義にもとづき,特定の思想的立場に拠らないことを特色とした。創刊の辞では〈成るべく平易に成るべく趣味多からしめんと力むる〉ことが明言されている。35年の歴史のなかで,実質上の編集に携わったのは,坪谷水哉・高山樗牛・鳥谷部春汀・浮田和民・浅田江村・長谷川天渓・平林初之輔である。執筆者は上記編集者のほか,三宅雪嶺・尾崎行雄・幸田露伴・金子堅太郎・大町桂月・田山花袋・片山潜・陸羯南・山路愛山・大井憲太郎・海老名弾正・河上肇・柳田国男ら各界にわたり多彩をきわめた。巻頭には写真を掲げ,名号200頁前後の大冊であり,随時臨時増刊を出したのも特色である。大正になると「中央公論」「改造」にその地位を奪われ,昭和に入ってまもなく,1928年(昭和3)2月1日に終刊した。