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●太陽崇拝 たいようすうはい

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 自然崇拝の一形態。太陽自体を神聖視するかあるいは超自然的力や神の象徴として太陽をあがめること。自然崇拝のなかでも空・太陽・月・星辰・雷・風雨など,天空・天体現象は地上のあらゆる地域に普遍的であり,世界各地で広い範囲にわたって崇拝対象として取り上げられてきた。太陽崇拝もその代表的形態の一つとして,とくに原始宗教・古代宗教ならびに未開宗教において盛んである。

【太陽神の性格】宗教学者ミルチャ=エリアーデによれば,原始社会・未開社会を通じて最も普遍的にみられる神々は天空神で,太陽崇拝は至上神としての天空神が,その威光を太陽神に移譲する過程で現れてくると考えている。太陽神は一方では,至高存在者としての天空神の性格をそのまま受け継ぎ,全能者・超越者ではあっても,人事や生業には直接かかわらない静態的存在として祭り上げられる。他方,創造神である天空神から創造の“業(わざ)”を委託された神として,月・植物・大地などが共有する繁殖神的性格を帯び,生命事象・生活事象に力動的な働きを及ぼすようになる。結局,太陽神は,天空神と月神など繁殖神との中間的ないし過度的存在とみなされる。そのため太陽神は,月や植物・大地などの神々に比べると崇拝の広さも強度も劣っているとする所論もある。さらにこれらの繁殖神との関係から,太陽は冥界や死者とも結びつき,ときには地下世界への案内人や霊魂の意味をもつこともある。かくして太陽神により表現される象徴的意味は,両面価値を有することとなる。つまり光と闇,生と死,創造と破壊,豊饒と枯渇など,対立する価値を併有する象徴である。しかし,太陽が王権や支配層と結んで強大な勢威を誇示し,また太陽英雄となって文字通り輝かしい崇拝を勝ち得た事実もあった。以上述べた太陽神の多面的性格は,相互に関連し合って切り離すことは難しいが,ひとまず,[1]天空神的太陽神,[2]繁殖神的太陽神,[3]冥界の太陽神,[4]両面価値としての太陽神,[5]支配権を合法化する太陽神,に分け,それぞれの傾向が顕著に現れていると考えられる事例を以下に列記しておく。

【太陽神の諸相】[1]東部アフリカの至高神“ルワ”は太陽に住んでいるが,犠牲や祈願を伴わない天空神的受身的性質をもつ。ベンガル地方で太陽を意味する“シン=ボンガ”はパンテオンの最高位にある。この神は人事に干渉せず,創造者であっても個々の仕事は従属神に委任している。インドネシアの太陽神“プエ=ムパラブル”も同様の性格であるが,造物主的性向を強めている。[2]古代バビロニアの神“マルドゥーク”は朝の光・春の曙の神であるが,同時に豊饒神として著名である。ティモール島の“ウプレロ”は太陽神が繁殖神に変貌した好例である。[3]ギリシア神話の“ヘリオス”が名高い。この神は生殖神であるとともに闇の世界と関連し,地下や死の象徴でもあった。古代バビロンの“シャマシュ”は神格化した死者の霊魂であった。[4]『リグ=ヴェーダ』に登場する“スーリア”あるいは“サヴィトリ”は,霊魂の導師であるとともに夜の神を意味する太陽神である。昼と夜,神々と悪魔の二元性を具有する神として描かれている。[5]太陽崇拝のテーマが最もなじみやすいのがこのカテゴリーに属する神で,古代エジプトの“ホルス”と“ラー”,インカ帝国・アステカ王国における“太陽信仰と人身供犠”が代表的である。オーストラリアや北米インディアンにも支配層と結んだ例がみられ,日本の“天照大神”も元は自然崇拝の対象であったものが,政治的操作によって皇統の正当化のシンボルに発展したのであろう。太陽崇拝はやがて脱聖化され合理化される。

〔参考文献〕ミルチャ=エリアーデ,久米博訳「太陽と天空神」エリアーデ著作集1巻,1974,せりか書房アト=ド=フリース,山下主一郎他訳「太陽」『イメージ・シンボル事典』1984,大修館書店