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●大名屋敷 だいみょうやしき

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 江戸時代,幕府が参勤交代のため江戸に居住する諸大名に与えた屋敷地。はじめは江戸城外の丸の内から外桜田(現在の霞が関から新橋一帯)に建てられた。1657年(明暦3)明暦の大火では江戸市中の大半が焼け,大名屋敷も500余軒焼失した。これを機に市街計画が進み,城内にあった御三家(ごさんけ)の屋敷を市谷(尾張藩)・赤坂(紀伊藩)・小石川(水戸藩)に移すほか,上・中・下屋敷を設けるようになった。上屋敷は従来の外桜田にあって大名の平常の居住屋敷であり,中屋敷は上屋敷の控えまたは非常時の避難所,下屋敷は近郊の四谷・駒込・本所・下谷などにあって別邸として用いられた。敷地や建物は家格や石高などの徒士・大名の駕籠とそれを取囲む中小組・近習・馬廻,つづいて駕籠の手書・笠持・後箱・茶弁当・索馬・重臣や医師の駕籠・騎士・仲間たちが従う。金紋先箱と毛槍は大名行列の表象であり,特に金紋先箱は大名の正服を納めた一対の,肩にかつぐ挾箱で,金の定紋をつけて大名の家格を示した。行列には特権が与えられ,一般の通行人は行列と行合うとき,土下座(どげざ)せねばならず,行列を乱す者はその場で無礼討にしてもよいとされた。1862年(文久2)帰国する薩摩藩の島津久光の行列を乱したイギリス人を斬殺した生麦事件はこうした特権意識と攘夷思想によるものであった。大名や宮家・公卿などの休泊施設として宿場には本陣(ほんじん)が置かれて,参勤交代などの行列の便宜をはかった。このように大名行列は庶民生活にとってかかわりの大きいものであった。俳人一茶の〈づぶ濡れの大名を見るこたつかな〉の句の「大名」は大名行列のこと。時雨にずぶ濡れになりながら威儀を正して通過する行列を,庶民が暖かなこたつに当たりながら障子の隙間から眺めているのである。江戸時代の封建制を象徴する大名行列・土下座・無礼討は,現代の時代小説や映画・テレビドラマにしばしば扱われる。西条八十の童謡〈鞠と殿さま〉にも大名行列は歌われている。