●大犯三箇条 だいぼんさんかじょう
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[1]鎌倉〜南北朝期に,守護の処理すべきものとされていた3件。御家人の大番催促・謀叛人の追捕・殺害人の追捕の三つ。『貞永式目』第3条「諸国守護人奉行事」に〈右大将家(註 源頼朝)の御特定めおかるる所は,大番催促謀叛殺害人付ケタリ夜討強盗山賊海賊等の事也〉とある。幕府のごく初期に3件について規定され,ついで貞永式目制定時点に夜討・強盗・山賊・海賊の追捕が前3件につけ加わった。1347年(貞和3)の法には〈大犯三箇条付ケタリ苅田狼籍・使節遵行〉(「室町幕府法−追加法31条」『中世法制史料集2』)とみえ,前3件に加えて苅田狼籍に対する検断権,守護使の派遣が認められた。守護に対しては,しばしば〈大犯三箇条のほか,相綺ふべからず〉「室町幕府法−追加2条」)とのように,職務権限をここに限定することが行われた。[2]戦国期『日葡辞典』に,屋焼き・人殺し・盗みの三事をさす語としてみえている。