●大宝律令 たいほうりつりょう
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文武天皇の治世に制定施行された律令。律6巻,令11巻。701〜757年(大宝1〜天平宝字1)の約半世紀間,律令制国家の全盛期に施行されていた古代基本法典。【編集・施行】700年(文武天皇4)3月に令11巻が諸王臣のもとで読習され,また律6巻もほぼ大綱ができあがって,同年6月編集者一同に賜禄があったので,このころ編集事業は最終段階を迎えていたと考えられる。事業の開始時期は不明であるが,697年文武天皇即位の前後のことであろう。主宰者刑部親王のもとに藤原不比等・粟田真人・下毛野古麻呂・伊岐博徳・調老人・伊余部馬養ら総勢19人が参画して,事業は遂行され,3年余を費やして完成した。編集終了後,律・令はそれぞれに諸王臣に読習と講習とを課し,701年(大宝1)3月に官位令・官員令・衣服令の3令を施行し,同年6月庶務いっさいを新令により執行するよう宣告した。また702年(大宝2)2月律を諸司にわかちくだし,同年10月律・令そろえて,地方諸国にいっせいに配った。
【内容】『大宝律令』は現存せず,『令集解(りょうのしゅうげ)』(『養老令』の私撰法解釈書)や『続日本紀(しょくにほんぎ)』などから,部分的にかなり復原できるので,現存する『養老律令』の条文との比較検討を通じて,全貌は概略把握することができる。その篇目は,律は『養老律』のそれと変わらないと考えられ,名例律以下12篇,令は『養老令』と同じで,官位下以下30篇である。以下律・令の各篇目と簡単な内容解説をしてみよう。
律12篇[1]名例律(みょうれいりつ)―刑法総則に相当し,苔(ち)・杖(じょう)・徒(ず)・流(る)・死(し)の5等刑,重罪の八虐(はちぎゃく)および官吏に対する刑の軽減を認める特例規定。[2]衛禁律(えごんりつ)―皇居・中央官庁・京および関などの警備をめぐる罰則規定。[3]職制律(しきせいりつ)―官吏に対する服務規律違反をめぐる罰則規定。[4]戸婚律(ここんりつ)―戸籍・戸口・婚姻・良賤などに関連する刑罰。[5]厩庫律(くこりつ)―官牛馬および倉庫官物の取り扱いに関する刑罰。[6]擅興津(せんこうりつ)―軍事をめぐる違反に関する罰則規定。[7]賊盗律(ぞくとうりつ)―反逆・殺人・強盗・窃盗の罪刑。[8]闘訟律(とうしょうりつ)―闘殴・誣告などに関する罪刑。[9]詐偽律(さぎりつ)―公文書・官物の偽造に関する罰則規定。[10]雑律(ぞうりつ)―私鋳銭など,どこにも入れることができない罪刑。[11]捕亡律(ぶもうりつ)―兵士・防人・奴婢などの逃亡に関する罰則。[12]断獄律(だんごくりつ)―禁獄・断罪などについて,刑吏および囚人の犯した罪に関する罰則規定。
令30篇[1]官位令(かんいりょう)―官位相当の一覧表。位階は親王が一品から四品の4階,諸王諸臣が正一位・従一位から少初位上・少初位下の30階で,各階に相当する諸官名列記。[2]官員令(かんいんりょう)―『養老令』では職員令(しきいんりょう)。中央・地方各官司の職名・定員・職掌などの規定。[3]後宮官員令(ごくうかんいんりょう)―『養老令』では後宮職員令(ごくうしきいんりょう)。妃・夫人・嬪の定員と品位,宮人の職名・定員・職掌などの規定。[4]東宮官員令(とうぐうかんいんりょう)―『養老令』では東宮職員令。皇太子付属の官庁の職名・定員・職掌などの規定。[5]家令官員令(けりょうかんいんりょう)―『養老令』では家令職員令。親王および諸王諸臣三位以上の家政機関の職名・定員・職掌などの規定。[6]神祇令(じんぎりょう)―神祇官の司る祭祀・大嘗などの規定。[7]僧尼令(そうにりょう)−僧尼統制上の禁止条項。[8]戸令(ごりょう)−郡里制・造籍帳・戸・婚姻・良賤などの規定。[9]田令(でんりょう)―田租・班田制・職分田などに関する規定。[10]賦役令(ふやくりょう)−調・庸・雑徭・義倉などに関する規定。[11]学令(がくりょう)―大学・国学など学制全般の規定。[12]選任令(せんにんりょう)―『養老令』では選叙令(せんじょりょう)。官吏の選任・叙位などの規定。[13]継嗣令(けいしりょう)―皇族身分および継嗣法に関する規定。[14]考仕令(こうじりょう)―『養老令』では考課令(こうかりょう)。官吏の勤務評定に関する規定。[15]禄令(ろくりょう)―官吏の俸禄に関する規定。[16]宮衛令(くえりょう)―皇居・中央官庁・京などの警衛に関する規定。[17]軍防令(ぐんぼうりょう)―軍団・防人など軍事全般に関する規定。[18]儀制令(ぎせいりょう)―朝廷の儀式・祥瑞・等親制などの規定。[19]衣服令(えぶくりょう)―皇族・官吏の礼服・朝服・制服の規定。[20]営繕令(ようぜんりょう)―土木工事全般に関する規定。[21]公式令(くしきりょう)―公文書の様式・授受伝達など公事(くうじ)全般に関する規定。[22]倉庫令(そうこりょう)―倉庫の出納・管理などの規定。[23]厩牧令(くもくりょう)―牛馬の飼養の駅馬などに関する規定。[30]雑令(ぞうりょう)―度量衡など他の諸令に収めることができない規定の一括収載。
【歴史的意義】律令は中国で発達・伝馬などに関する規定。[24]医疾令(いしちりょう)―医薬全般にわたる規定。[25]假寧令(けにょうりょう)―官吏の休暇に関する規定。[26]喪葬令(そうそうりょう)―皇族および官吏の葬儀全般にわたる規定。[27]関市令(げんしりょう)―関・市に関する管理・運営の規定。[28]捕亡令(ぶもうりょう)―犯罪人の追捕,奴婢・囚人の逃亡処置などに関する規定。[29]獄令(ごくりょう)―裁判の手続,処刑法した法であり,隋・唐にいたって集大成された。それを日本は輸入したのであるが,直接模範とした中国律令は,唐の高宗のとき制定された『永徽律令』(えいきりつりょう,651)であるといわれる。日本律の場合,唐律より量刑が少し軽減されているほかは,唐律をそのまま踏襲している。それは日本に体系的固有刑法を創出し形成させる民族性・社会性が乏しかったからであろう。一方,日本令の場合,唐令を範としながらも,わが国固有の伝統的行政諸制度の特性を生かしながら編成されていった。唐制をどの程度摂取して,外観を整えるかということが課題であったわけで,『近江令』の唐制重視,『浄御原令』の伝統重視,その両令を総合化し集大成したものが『大宝令』であると考えられよう。日本律令には,天智朝の『近江令』・天武・持統朝の『浄御原(律)令』があるけれども,律が成文法典として公布された確証がない。『大宝律令』にいたって,初めて律と今が揃って制定され,施行されたのである。また,この後に制定された『養老律令』が『大宝律令』の字句修正程度の編集事業にとどまり,原則的には大差ないものにすぎず,その施行も遅延したことを考え合わせると,『大宝律令』は,わが国における古代国家の到達した頂点を示す,重要な法典である。ここに天皇大権を中核とする強力な中央集権官僚支配を法制上整備したところの,いわゆる律令国家体制の確立をみるのである。そして『大宝律令』の施行期は,律令国家体制下,平城京(ヘいぜいきょう)を中心に繰り広げられた唐風の貴族文化の全盛期であったのである。
〔参考文献〕滝川政次郎『律令の研究』1931,刀江書院
押部佳周『日本律令成立の研究』1981,塙書房