●帯方郡 たいほうぐん
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朝鮮半島に前漢武帝が設置した4郡の一つである。楽浪郡の南半部に、204年ごろ公孫度(後漢末、遼東郡に自立して勢威を奮った豪族)が、分置した郡県。後漢末、遼東郡の太守となった公孫度は、遼東の近辺を統轄し、東方に雄飛した。当然、従来漢の管轄下にあった朝鮮半島の西北部もその支配下に入った。公孫度の子、公孫康は父の後を継ぐと、魏に臣服せず、北方夫余と結び、高句麗を攻撃した。当時、楽浪郡の南部は、韓族・ワイ※注1※族の政治的成長が著しくその支配が後退していたので、屯有県以南を割いて帯方郡を分置した。その後、公孫淵の代になって、魏の明帝の攻撃を受け、公孫氏は討滅される(238)。一時は、〈是より後、倭・韓遂に帯方に属す〉といわれるほど公孫氏の東方諸族に及んだ勢威は大きかった。公孫氏崩壊後、帯方郡は魏の領有下に入り、さらに西晋の末にいたり、313年高句麗族が楽浪を覆滅すると、あい前後して馬韓族を主体とする韓族のために攻略された。帯方郡の郡治址は現在の黄海道鳳山郡文井面石城里にある唐土城であるとされている。土城の北方4.5kmの地には帯方郡太守の墓も発見されている。
