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●太平洋 たいへいよう

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 アジア・オーストラリアの東側,南北アメリカの西側にひろがる世界最大の海洋。面積は約1万8,000平方kmで地球上の全海洋面積の46%を占め,最大幅は北緯10度線付近で,ほぼ地球の半周に達する。北端はベーリング海峡で北極海と隔てられ100kmの幅でアジア・北アメリカ両大陸が接近している。南端はそのまま南極大陸におよんでいるのでインド洋との境界は明確にしにくいが,大西洋との境界は南アメリカ大陸の南端,マゼラン海峡で仕切られている。また,東岸は北アメリカから南アメリカにかけてわりあいに単調な海岸線となっているが,北岸から西岸にかけてはアジア大陸の外側に半島が突き出ていたり列島が弧状に並んでいて,大陸とのあいだにいくつかに縁海・付属海をつくっている。すなわち,アリューシャン列島とのあいだにベーリング海,カムチャツカ半島と千島列島の内側にオホーツク海,日本列島によって日本海,朝鮮半島の西側に黄海,九州と琉球列島の内側に東シナ海,フィリピン・ボルネオ・マラヤ半島に囲まれて南シナ海,そしてフィリピン南方にスル海・セレベス海,ボルネオとジャワのあいだにジャワ海,セレベスの南,オーストラリアとのあいだにバンダ海・チモール海,ニューギニアとオーストラリアのあいだにアラフラ海,ソロモン諸島・ニューカレドニアとオーストラリアのあいだにサンゴ海,ニュージーランドとオーストラリアのあいだにタスマン海といった部分があり,いずれも太平洋の一部となっている。これらの縁海・付属海の分布状況からもわかることだが,海底地形はアジア側とアメリカ側とで著しく異なっている。水深200m以浅の大陸棚が西側,つまりアジア・オーストラリア側で広いのに対して,東側,南北アメリカ側ではその発達がきわめて乏しい。一方,北半球と南半球では北で平均水深が4,000ないし6,000mと深く,それに比して南半球では2,000ないし4,000mと浅くなっている。このような一般的な水深の分布のなかにあって,最深部分,つまり1万mを超す海溝はフィリピン群島東部のフィリピン海溝・小笠原諸島東部の日本海溝で測定されている。すなわち,オランダのスネリウス号がフィリピン海溝で記録したミンダナオ海淵の1万830m,ドイツのエムデン号が記録した1万793m,そしてアメリカのラマポ号が小笠原鳥島の東部で測定したラマポ海淵の1万379m(これはのちに日本の凌風丸が再測定して最大水深9,704mしかないことがわかった)がそれであり,以下,マリアナ海溝で9,814m,南半球ではニュージーランド北東のケルマデック海溝で9,427m,トンガ沖合のトンガ海溝で9,184mといった水深が記録されている。これらに対して東岸では南アメリカ沖でアタカマ海溝の7,635mが最大である。これらの海溝は,アメリカ側でアンデス,ロッキー両山脈からアリューシャン列島を経てアジア東縁の千島列島・日本列島・琉球列島・フィリピン群島,さらにニューギニアからはソロモン諸島とニューヘブリデス諸島との2列に分かれ,最後にはニュージーランドに連なる環太平洋造山帯の内側の褶曲の谷部をなすものであって,それぞれの海溝のすぐ横に日本列島とか小笠原・マリアナ列島・フィリピン群島,あるいはニュージーランド北島・南島といった褶曲の山脈部があることと表裏をなしており,それはまた,これらに沿って火山帯・地震帯が走ることを意味している。

【太平洋の島々】太平洋中の島嶼の分布は,西部では海中の山脈,つまり海嶺が水面上にまで現れた形でほぼ南北に走る列島をなしているのに対し,東部ではそのような配列がない。これらすべてについて,大きく三分して,おおよそ日付変更線の東側にひろがる部分をポリネシア(「多くの島々」の意),西側のうち,ほぼ赤道を境に,北をミクロネシア(「小さい島々」の意),南をメラネシア(「黒い島々」の意)と呼んでいる。これらは自然地理的な区分というより,そこに住む人々の民族的・言語的区分に従ったものである。これらの島々では,成因からは,先に述べた火山帯に沿って噴出した海抜高度の大きい火山島,造礁サンゴによって形成された低平なサンゴ礁鳥の二つが顕著な対照をなす。サンゴ礁のほうは,北回帰線から南回帰線までのあいだに分布する熱帯海域独自のものであるが,東はハワイ諸島とツアモツ諸島とを結ぶ線で途切れて,それ以東の海域にはない。大きな島の周辺に裾礁として付いているものと,大洋のなかに辛うじて姿を現す環礁その他の隆起サンゴ礁とに分けることができよう。

【海流】海流は赤道付近の南北両側に西むきに流れる南北赤道海流があり,北赤道海流のほうはフィリピン東岸にぶつかって北上し,日本列島に沿って北東流する黒汐(日本海流)となるが,日本付近では,その名のとおり黒い帯状の暖かい水塊となって流速も1,000ノットに達する。これは銚子沖付近で日本沿岸から外れはじめ,三陸沖で東にむかって北アメリカ西岸にぶつかって南転するカリフォルニア海流となる。この時計回りの北半球の海流に対して,南赤道海流は反時計回りに流れているが,南半球の陸地の形が不規則に配列しているため顕著な環流とはなっていない。オーストラリア東岸を南流するオーストラリア海流,南アメリカ西岸を北流するペルー海流がそれである。これらはいずれも高緯度地方にむかって暖かい水を送る形となって気候をやわらげる役割をしているほか,暖海性の魚群を高緯度地方にまで誘導し,とくに日本近海や北アメリカ西岸ではベーリング海峡から流下して来る寒流と交わって好漁場をつくり出しており,北大西洋の同様な条件の海域とともに世界の4大漁場と数えられる。

【気候】風は,回帰線付近から赤道低圧帯にむかって吹きこむ貿易風が北半球では北東風,南半球では南東風となって,ほぼ年間を通じて吹きつづけるが,南北回帰線の外側では中緯度高圧帯から吹き出す偏西風となる。これに大陸と海洋のあいだを夏と冬で反対方向に吹く風が加わり,さらには1日のうちでも昼と夜で海陸風が往復する。もちろんこれらの気圧配置は季節によって南と北に移動するので風むきも時期によって多少の違いがある。さらにそれぞれの夏にあたる季節に,赤道周辺に発生する熱帯性低気圧が台風となって6〜10月は北上,12〜4月は南下して被害をもたらすことも多い。高緯度地方,つまり日本以北やニュージーランド以南の海では,冬の季節風が激しく,航海や漁業に障害となっている。これらの気候との関わりで,太平洋沿岸と,洋上の島々の植生も,それぞれ熱帯域・亜熱帯域・温帯域・寒帯域によって相違するが,ニューギニアからソロモン諸島・ニューヘブリデス諸島にかけてのジャングルと,その他の熱帯域のヤシ類とは特徴的なものといえよう。これに加えて,のちにヨーロッパ諸国が植民化の過程でプランテーション農業を進め,サトウキビ・ワタ・コーヒーその他が栽培されるようになって現在の太平洋諸島の景観を特徴づけることになったが,それ以前の原住民が栽培してきたタロイモ・ヤムイモ・バナナなどの植物も古い時代にアジアその他からもちこまれたものである。

【歴史】ところで,太平洋の各地に人類の居住がおよんだ歴史は,考古学的な発掘と言語学の分析によって,東南アジアから何回かの波で東漸したと考えるのが定説となっている。つまり,洪積世末期にオーストラリア・タスマニアに入ったオーストラロイド,新石器時代に入ってニューギニアとメラネシアの一部に入ったパプアンとメラネシアン,その一部が北上し改めて西から入ったグループと一緒になって各島を占居したミクロネシアン,そして最後にフィジーからトンガ・サモアをへて,北はハワイ,南はニュージーランド,東はイースター島までひろがったポリネシアンという各原住民群が,16世紀の白人到来以前に太平洋上のほとんどすべての島嶼に分布し,ハワイやトンガにはすでに王国が建設されていた。初めて太平洋をみたヨーロッパ人はバルボア(スペイン)であるといわれる。彼はコロンブスの新大陸発見から21年後の1513年,パナマ地峡の山地から南に広い海のあるのを望見してこれに「南の海」と名づけた。1520年から1521年にかけてのマゼラン(スペイン)の世界周航は,いいかえればこの新知見の海を横断することを一つの目標とした航海であるが,南アメリカの南端,のちに彼自身の名がつけられたマゼラン海峡を通過して,この大洋に入った彼の船隊は,幸いにも好天に恵まれて,この海を「平穏の海」と命名した。「太平洋」という日本語訳は好訳である。マゼラン自身はフィリピンまで到達したがそこで殺されて世界一周は彼の船隊に委ねている。以後,トレス(スペイン,1606年・タスマン(オランダ,1642年)・ブーゲンビル(フランス,1768年)などこの海域に自らの名を留めた航海者や,ソロモン諸島,サンタクルス島の発見者とされるメンダーニャ(スペイン),マゼランに次ぐ第2回目の世界周航を果たしたドレーク(イギリス),ツアモツ諸島やギルバート諸島を探検した詩人バイロンの祖父ジョン=バイロン(イギリス)等々に次いで有名なキャプテン=クック(イギリス)は1769年から1770年にかけての第1回航海,1773年から1774年の第2回,1777年から1779年の第3回航海で北はアラスカ・アリューシャンから,南は南極海近くまで,太平洋のほぼ全域についての調査の旅をつづけ,ほとんどその全貌を明らかにするという偉業をなしとげた。そしてこれらの航海は直接それぞれの航海者の祖国の名による領有宣言を伴い,国王や王妃の名を命名したものも多かったが,それがやがては帝国主義的侵略への引き金となり,その主役は当初のスペイン・オランダからついでイギリス・フランス・それにドイツ・アメリカまでが入り乱れて,各地に軍事・政治上の競争をひきおこした。一方では原住民を略奪・搾取し,あまつさえ奴隷として連れ去ったり,あるいは病気を感染させて免疫性のない原住民の急激な人口減少をおこし,酒やアヘンで心身をむしばんだが,他方ではキリスト教新旧両派の宣教師が入り込み,ヨーロッパ風の生活文化を教えこんで現地社会を根底から覆し,プランテーション農業の導入で経済生活にも変革を強要した。このような時代の総括というべきものが,この両岸に位置する日本とアメリカを軸とし,太平洋そのものを主戦場とした第二次世界大戦である。1941年のハワイ真珠湾に始まる4年間の大戦はほとんどこの海域の全域におよび,「太平洋戦争」の名を歴史に残した。しかしこの不幸な戦争の経験は,戦後に新しい民主主義・民族主義の台頭を促し,1962年の西サモア独立に始まって,1965年クック諸島が自治領に,1968年ナウル,1970年にフィジーとトンガ,1975年パプア=ニューギニアの独立,1976年信託統治下での北マリアナ諸島の成立,さらに1978年ソロモン=アイランズとツバル,1979年キリバスが独立,ミクロネシア連邦とマーシャル諸島とパラオがそれぞれ自治権を獲得,1980年にはバヌアツ(Vanuatu)共和国が独立するなど,太平洋島嶼国の独立時代が到来し,西欧支配の植民地時代の終結が近づいている。しかし鉱物資源を蔵する一部の島を除いては,資本の上で,あるいは物資の供給の上で,久しく宗主国に負うところの多かったこれらの国々もしだいに中立・独立を明らかにし,国際間の緊張緩和に努力しているが展望は必ずしも明るいとはいえない。本国−植民地という縦の糸を断ち切って,太平洋圏の諸国という横の空間で新しい時代に対処しようとする動きは,今後の太平洋の歴史を織っていく上での重要な視点となるであろう。