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●大日本帝国憲法 だいにっぽんていこくけんぽう

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 現在の日本国憲法が施行された1947年(昭和22)5月3日前までその効力をもちつづけていた憲法であって,略して,帝国憲法とか明治憲法,もしくは単に旧憲法ともいう。1890年(明治23)11月29日における施行であった。この憲法は,天皇・臣民の権利義務・帝国議会,国務大臣および枢密顧問,司法・会計・補則の7章76条からなる成文・欽定・硬性憲法であった。

 大日本帝国憲法の立案のときに,伊藤博文はそれ以前の1882年(明治15)3月14日憲法取り調べのため,ヨーロッパへ赴き,ドイツにおいてグナイストらの教えを受け,プロシア国憲法などについて学び,翌1883年8月3日に,伊藤はようやくプロシアから日本に帰国した。このようにグナイスト・シュタインたちから教授を受け,ロエスレルらの教えと指導を受けているから,どうしてもプロシア憲法の影響をこうむっていることは否定できないとともに,国内的には,明治初頭以降だんだんと強力になってきた自由民権を主軸とする民主的な考え方と,反民主的な思想や考え方との苦心の妥協的な産物として生まれたのが,この大日本帝国憲法であったともいえよう。

 帝国憲法の内容をみると,なるほど一応は,立法・司法・行政の三権分立主義をとっているようであって,やはり立憲的憲法の性格を示しているともいえよう。しかし詳細に検討してみると,軍務・官務など国務のほとんど大部分が,天皇の大権による天皇主権主義を採用しながら,一方では大臣の助言制を採用している。帝国議会は,二院制をとっていて,一方では民主的な衆議院に相対して,他方では保守的な華族および勅任議員で組織される貴族院とで構成され,民主と保守のバランスをとるよう,うまく工夫されている。このほか,行政事件に関しては,本来の司法裁判所のほかに,わざわざ行政裁判所を設置したことなどに特色がみられるとともに,立案者の苦心のあとが伺われる。また,国民の権利宣言(2章,臣民の権利義務)を明らかに規定していたが,ここにおいても国民の権利の性格を,いわゆる自然権とはみなさずに,この大日本帝国憲法の制定によって,初めて上から与えられた権利であって,さらにそのうえ,この権利は法律によって制限できると限定的に考えられていた。すなわち大日本帝国憲法は,これまで述べてきたように,いわゆる欽定憲法として,上から,天皇によって初めて制定された憲法であって,これらの経過などからみて,憲法の改正には,帝国議会の議決と,天皇の意思との合致が絶対に必要であると考えられるとともに,このように重要な発案権は,かたく天皇(政府)に留保されるように仕組まれていたが,しかし日本国憲法(現在の憲法)が,1947年5月3日に施行されるまで,一度も改正の様子もみられず,したがって千古不磨の大典と称された大日本帝国憲法は,最後まで改正は行われなかったのである。

 以上が大日本帝国憲法が制定されたいきさつと,その内容のあらましであるが,次にやや詳細に,これらの点について,述べていくこととしたいと思う。

 すなわちその起草と起草方針は,世にいう明治14年の政変(1881)によって定められ,それから後は,伊藤博文をはじめとして,井上毅・伊東巳代治・金子堅大郎を含む4名の人たちが憲法案の起草をすることになったが,この結果,ようやくできあがった憲法原案を,1881年に創設のうるさ方がそろっていた当時の枢密院が何回も慎重に審議を重ねた後,やっと確定することができ,1889年2月11日に,明治天皇がいわゆる欽定憲法として発布したが,これが施行に関しては,憲法前文の定めにより,翌1890年11月29日において,第1回帝国議会が開会された時から,やっと施行することができた。

 大日本帝国憲法の内容について次に述べると,今の憲法とは異なり,第1に天皇主権という考えに立脚していて,まず第1条において〈大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス〉という表現で述べているが,臣民である一般国民は,立憲主義が採用されたので,天皇統治権の行使に参与するというだけであって,統治権者に属する事項に関しては,やはり決定権をもつことはできず,それが憲法規制事項の非常な制限となってしまった。なお大日本帝国憲法は,皇位の継承・摂政の設置などについての規定を除外し,「皇室典範」でもって定めるものとしていたが,しかしこの皇室典範は,〈皇室の家法〉と思われていたので,典範事項の内容を定めることは,なんといっても皇室の自律主義によりなされるのが,あたりまえであると考えられていた。

【天皇の大権事項】いわゆる天皇の大権事項は,第6条から第16条まで列記されていて,帝国議会の決定的な参与を拒んでいた。これら天皇の大権事項は,次のとおりであった。

 すなわち〈第6条 天皇ハ法律ヲ裁可シ其ノ公布及執行ヲ命ス〉帝国議会は,国民の代表者として,国の統治に参与するもので,天皇の機関として,天皇からその権能を与えられているものではなく,したがって原則としては,議会は天皇に対して完全な独立の地位をもち,天皇の命令に服従するものではないといえよう。

 〈第7条 天皇ハ帝国議会ヲ召集シ其ノ開会閉会停会及衆議院ノ解散ヲ命ス〉

 〈第8条 天皇ハ公其ノ安全ヲ保持シ又ハ共ノ災厄ヲ避クル為緊急ノ必要ニ由リ帝国議会閉会ノ場合ニ於テ法律ニ代ルヘキ勅令ヲ発ス,此ノ勅令ハ次ノ会期ニ於テ帝国議会ニ提出スヘシ若議会ニ於テ承諾セサルトキハ政府ハ将來ニ向テ其ノ効力ヲ失フコトヲ公布スヘシ〉 第8条は,立法権が議会の協賛を必要とするという原則に対する第1の重要な例外として,応急立法すなわち緊急命令の天皇大権を定めたものであって,議会の閉会中において新しい立法をしなければならない緊急の必要に迫られた場合には,議会の承諾を後から得ることを条件として,とくに議会の協賛をへないで,ただ政府の専断によって応急的の立法ができるということを認めている条文である。

 〈第9条 天皇ハ法律ヲ執行スル為ニ又ハ公共ノ安寧秩序ヲ保持シ及臣民ノ幸福ヲゾウ※注1※進スル為ニ必要ナル命令ヲ発シ又ハ発セシム但シ命令ヲ以テ法律ヲ変更スルコトヲ得ス〉 第9条は,立法権が議会の協賛をへて行われることの原則に対する第2の重要な例外として,副立法すなわち執行命令および警察命令の大権を定めているものである。

 〈第10条 天皇ハ行政各部ノ官制及文武官ノ俸給ヲ定メ及文武官ヲ任免ス但シ此ノ憲法又ハ他ノ法律ニ特例ヲ掲ケタルモノハ各其ノ条項ニ依ル〉 第10条は,[1]行政各部の官制を定める権,[2]文武官の俸給を定めるの権,[3]文武官を任命するの権という3種の大権を定めている。

 〈第11条 天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス〉 帝国軍隊の統一とともに,天皇が大元帥としてこれを統帥することが承認された。

 〈第12条 天皇ハ陸海軍ノ編制及常備兵額ヲ定ム〉 政務上の大権に属し,内閣が輔弼の責に任ずる。

 〈第13条 天皇ハ戦ヲ宣シ和ヲ請シ及諸般ノ条約ヲ締結ス〉 第13条は天皇の外交大権を定めている。

 〈第14条 天皇ハ戒厳ヲ宣告ス戒厳ノ要件及効力ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム〉 戒厳を宣告することは,天皇の大権に属する。

 〈第15条 天皇ハ爵位勲章及其ノ他ノ栄典ヲ授与ス〉 第15条の大権は,天皇の大権の一つとして規定されている。

 〈第16条 天皇ハ大赦特赦減刑及復権ヲ命ス〉 第16条は,恩赦大権が,天皇に属することを明示している。本条には,大赦・特赦・減刑・復権の4種を区別しており,さらに詳細は恩赦令(大正1年勅令23)で定めている。

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