●第2次五カ年計画 だいにじごかねんけいかく
AD1933
1933年〜37年のソ連国民経済発展五カ年計画の第2次計画。その目標は,[1]第1次五カ年計画(1928〜32)で拡充された基礎産業をさらに強化し,全国民経済の技術的改造を行い,軽工業の発展にも意を用い,工業総生産を倍加すること,[2]農業の集団化を徹底し社会主義農業を確立すること,[3]国内資本主義分子を徹底的に追放し,社会主義社会建設を軌道にのせることにあった。投下資本総額は1,375億ルーブルで,第1次計画の2倍以上に及んだ。その資金を効率的に運用し,初期の目的を達するため,労働生産性向上と経費節約・原価引き下げの徹底強化をはかり,労働生産性向上のために,先進技術の導入・技術者幹部の養成につとめた。また社会主義競争の方法が取り入れられ,いわゆる〈スタハノフ運動〉が提唱された。この計画は1937年3月末,4年3カ月で達成され,その結果,工業総生産は計画実施前の2.2倍となり,4,500の大企業が新設され,白海のバルチック運河・モスクワのヴォルガ運河・ドニエプル発電所などの建設も行われた。農業面では全農家の93%にあたる1,850万戸の農家がコルホーズに加入し,その穀物播種面積は,全面積の99%の1.35億haに達し,それに伴い農業の機械化も進められ,農業生産高も計画実施前の1.5倍に達した。国民生活水準も向上,賃金も倍加し,商品流通量も計画実施前の3倍となり,1935年には食料品の,1936年には日用消耗品の切符配給制も廃止された。こうして,1936年12月にはソ連に社会主義は基本的に確立されたとして,「スターリン憲法」が発布された。一面,急激な工業化と農業集団化は,新しい体制の謳歌・指導者への賛美という傾向を生み,異分子の粛清という性格も付与された。同年6月『プラウダ』は愛国心に関する論説を発表,愛国者・祖国ということばも復活され,ソ連の「文化革命」が始まった。また,同年12月のレニングラード地方党書記長キーロフの暗殺事件をきっかけに,いわゆる「スターリンの大粛清」も始まった。