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●大内裏 だいだいり

アジア 日本 AD 

 大内とも呼び,わが国の都城(平城京・平安京)における宮城をいう。日本の都京は,唐の長安城洛陽城を模倣して,都京の北辺中央部に造営された。大内裏や大内という呼称は,平安時代末期からで,それまでは宮城と呼ばれていた。そこは天皇の公私の空間であり,皇室の私的住居は内朝,公的なところは外朝と呼ばれ,その総称でもあった。古代律令国家は家政機関の公的性格化と解することができる。平城京では内裏は宮城中央後方に位し,外朝たる朝堂院はその東方にいとなまれ,それは正殿たる大極殿を簡略化したものであった。平安京も平城京を継承したが,朝堂院の位置を正面朱雀門において,国家の面目をなし,その東北に内裏をいとなんで唐にならい豊楽院が建設された。しかしやがて藤原摂関政治となると,朝堂院は儀式の場と化し,院政によって里内裏がつくられ,大内裏は古代律令国家崩壊によって再び復活することはなかった。平安京大内裏については裏松光世の「大内裏図考証」にくわしい。

〔参考文献〕裏松光世「大内裏図考証」