●大秦 だいしん
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中国の史書である『後漢書』や『魏略』『晋書』などにみられる西域の国名。後漢の和帝の時代に西域都護班超が,部下の甘英を遠く西方に巡遣したことから,西域の大国として知られるようになった。また,桓帝の時代に大秦王安敦の使いと称するものが海路中国に来たことがみえる。大秦国王安敦は,ローマ帝国五賢帝最後のマルクス=アウレリウス=アントニヌス帝とされるので,大秦国はローマ帝国と解されている。そのほかに,アラビア半島とする説や,シリア・メソポタミアを含むアレクサンドリアを中心としたローマ東方領であるという説がある。唐代には,ネストリウス派・キリスト教の中国流入によって,大秦はキリスト教の中心地とされ,宋代には,アッバース朝イスラーム帝国の都バグダードを大秦と呼んでいる。