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●大衆文学 たいしゅうぶんがく

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 一般には“純文学”に対する呼称であり,多数読者の興味を惹き,それに奉仕する娯楽読物のことをいう。なるべくたくさんの人々,それもできるだけさまざまな階層の人々を吸収しようとするものである。そのためには肩が凝らず,筋立ても文章もわかりやすく,楽しむことのできるものでなければならない。そこから“大衆文学”は[1]煽情的・好色的要素が強く,[2]説教的要素を含み,[3]その時代の人々の嗜好に適合する,つまり迎合的であるという傾向をもち,[4]筋やアクションの面白さ,波瀾万丈の展開で読者を引っ張っていくのである。イギリスの作家グレアム=グリーン(Graham Greene,1904〜)が自分の長編小説を「本格物」と「娯楽物」に分けていることは有名である。だが厳密にいえば,両者の区別はそれほどはっきりはしていない。強いていえば「娯楽物」には大体において筋立ての面白さがあり,直線的な性格をもち,映画化された作品も数多い。しかしこれらも絶対的な条件にはならない。“大衆文学”はどうしても低俗化に傾く宿命を負ってはいるが,一方,“純文学”の反措定として,文学が少数のエリート読者のためではなく,大衆のための文学として生きる方向を示すものであり,最近は“中間小説”という方向も現れてきているし,また,“大衆文学”自身も思想性や芸術性をもったものが生まれてきていて,“純文学”と“大衆文学”の境界は曖昧になっている。このことはグリーン自身の小説の2系列のあいだに明確な一線を引くことが難しいという前述の事情にも通じるのである。

 わが国では大正時代,関東大震災後からわずか4年間に,講談や浪曲や大衆演劇の系譜を引く“新講談”から“読物文芸”“大衆文芸”をへて“大衆文学”という呼称が出てきた。“大衆文学”は“私小説”の系譜が主流を占めた当時の文壇の流れにあきたりぬ読者の気分から生まれた,新しい形の文学であったが,ラジオや新聞雑誌や活動写真というマス=メディアの発達による読者層の増大ということにも関係があった。わが国の“大衆文学”は講談ネタの関係で,狭義には時代物をさすが,広義には推理小説・家庭小説・ユーモア小説を含む。さらに外国ものの翻訳や翻案の影響もあって,少年少女小説・科学小説・社会小説・教訓小説・歴史小説などまで入る。最近ではSFも盛んで,“大衆文学”の大きな一翼を担っている。また最近ではマス=メディアも新聞雑誌のほか,週刊誌やテレビというふうに拡大し,“大衆文学”はそれらとの繋がりをますます緊密にしてきている。