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●第三帝国 だいさんていこく

ヨーロッパ ヨーロッパ AD1933 

一般に1933〜45年の約12年間にわたるナチス支配下のドイツをさす。第三帝国という言葉は、1920年代にメラー=ファン=デン=ブルックが本の表題として用い、神聖ローマ帝国・ビスマルク帝国についで民族主義にもとづく第三帝国の到来を予言したことから、政治的スローガンとしてひろく使用されるようになった。ただし、ヒトラー自身は政権の途中からこの呼称の使用を禁止した。

【独裁制の樹立】ワイマール共和国末期の恐慌下でナチスが躍進したことを背景に、1933年1月30日ヒトラーは政権を獲得する。ただちに独裁制樹立にのり出したヒトラーは、まず国会議事堂炎上事件を利用して共産党を弾圧し(1933年2月)、さらに議会で全権委任法を成立させた(同年3月)のち、社会民主党以下の全政党を禁止もしくは解散に追い込み(同年6〜7月)、ナチスの一党支配を実現する。同年末より1934年にかけてナチスの突撃隊と国防軍の対立が尖鋭化し、ヒトラーは窮地に立つが、1934年6月30日レーム以下の突撃隊幹部を殺害してこれに結着をつけた。同年8月ヒンデンブルク大統領の死とともにヒトラーは「総統兼首相」となり、国防軍も彼に忠誠を誓う。これをもって独裁制の樹立過程が完了した。

ナチス支配の実態】第三帝国は「SS国家」とも呼ばれ、親衛隊(SS)が国民の日常生活全般を監視し、秘密国家警察ゲシュタポ)や強制収容所などの弾圧装置をそなえた独裁国家であった。当然、政治的自由や言論の自由は極度に制限され、多くの政治家や知識人が強制収容所へ入れられるか、亡命を余儀なくされた。また、独自の人種主義的世界観にもとづくユダヤ迫害も実行され、第二次世界大戦中にはユダヤ人の大量虐殺へゆきつくことになる。しかし、第三帝国の支配は単に暴力によってのみ維持されたわけではない。ヒトラーは、ナチスの党組織や親衛隊に依拠しながらも、他方で官僚・軍部・財界などの保守勢力との提携関係も重視した。第三帝国の初期にシャハトが経済相や国立銀行総裁として経済政策の中心的位置に立ったのはその現れである。ヒトラーの独裁は一枚岩的なものではなく、ナチスの諸組織や保守勢力の競合関係のうえに成り立っていたとみるべきである。そして、実際の政策面では、軍需産業の拡大や自動車道路建設などの公共事業の推進による失業問題の克服、「ドイツ労働戦線」と称する組織のもとでの労働政策の展開、それになによりも再軍備宣言(1935)・ラインラント進駐(1936)などにみられる外交上の成功によって、少なくとも大戦直前までの第三帝国が相当程度の国民の支持をえていたことは否定できない。

【第二次世界大戦と第三帝国の没落】ヒトラーはかねてより東方への広範な征服計画を抱いており、再軍備の推進はもちろん、独墺合邦(1938)、ミュンヘン会談によるズデーテン地方の獲得(1938)などもそのための布石であった。しかし、1939年9月1日のポーランド進攻は英・仏両国による対独宣戦を招き、第二次世界大戦が勃発する。この大戦でドイツはフランスを降伏させたが(1940)、イギリスの抗戦を止めさせえぬまま、1941年6月ソ連と、ついで同年12月アメリカと戦争状態に入った。1942年夏ごろには同盟国イタリアとともにヨーロッパに広大な支配圏を築くが、1943年以降東・西両戦線で連合国の反攻が始まり、結局1945年5月にいたってドイツは降伏し、それとともに第三帝国も姿を消した。その間、1944年7月20日には保守派によるクーデタ計画が実行されたが失敗に終わった。ヒトラー自身はドイツ全土を戦火によって荒廃させたまま1945年4月30日自殺をとげた。なお、第三帝国におけるヒトラー周辺の重要人物としては、空軍最高司令官ゲーリング・宣伝相ゲッベルス・親衛隊長ヒムラー・総統秘書ボルマンらがあげられる。

〔参考文献〕K.D.ブラッハー、山口定・高橋進訳『ドイツの独裁』全2巻、1975、岩波書店

A.バロック、大西平明訳『アドルフヒトラー』全2巻、1960、みすず書房

野田宣雄『ヒトラーの時代』上・下、1976、講談社