●醍醐天皇 だいごてんのう
アジア 日本 AD885 平安時代
885〜930(仁和1〜延長8) 第60代の平安時代の天皇。宇多天皇の第1皇子,母は内大臣藤原高藤の女,藤原胤子。諱は敦仁,本名維成。893年(寛平5)皇太子。897年(寛平9)即位。父帝は譲位とともに右大臣菅原道真・左大臣藤原時平並んで補佐させ,やがて天皇は時平に政務を担当させ補佐させた。903年(延喜3)左大臣時平の讒言によって,道真は太宰権師に左遷され,藤原氏の進出する道を開くこととなった。時平に詔して「三代実録」をたてまつらしめ紀貫之・紀友則らをして『古今和歌集』を撰集させ,さらに時平に「延喜格」「延喜式」を選定させるなど,つねに政治に心を用い,百姓を大切にし,奢侈をいましめ,政務に励み宣功をあげている。とくに班田の励行と荘園整理令の発布と相まって,律令制の再建に力を呈した。ところが畿外の国司たちは政を失し,騒乱が地方でおきていたが,京畿は太平無事であったため「延喜の治」と呼ばれている。在位33年の長さに及び,930年(延長8)朱雀に位をゆずり,法名を宝金剛と称す。陵は山城国宇治郡醍醐村後山科陵。
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