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●醍醐寺 だいごじ

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 真言宗醍醐派の総本山。京都市伏見区醍醐伽藍町にあり,笠取山(醍醐山)の山上を上醍醐,山麓を下醍醐という。874年(貞観16)ごろ聖宝(空海の孫弟子)が上醍醐に開創し,907年(延喜7)醍醐天皇勅願寺となり,913年(延喜13),定額寺とされ,その間に,准胝堂・如意輪堂・五大堂・本尊薬師堂・開山御影堂などが建立された。ついで下醍醐に釈伽堂(上の薬師堂と同じく醍醐天皇の御願堂)および本堂・礼堂・経蔵・鐘楼など,さらに951年(天暦5)五重塔,1097年(永長2)無量光院,1115年(永久3)三宝院(その翌年,院内に灌頂堂)などが完成され,その建立・修理・維持に供する寺領(不輸租・免雑役)も次々施入されている。法統は聖宝の法弟が代々座主を継ぎ,やがて三宝院・報恩院・金剛王院・理性院・無量寿院(以上を醍醐五門跡という)の住僧が交代で座主となり(ただし室町前期の満済以降は三宝院門跡が独占),一山の教学・教勢を盛んにした。しかし,1470年(文明2),戦禍にあって下醍醐の伽藍は五重塔(国宝)以外ほとんど焼失し,寺領も戦国時代に大部分失われた。それを再興したのは,豊臣秀吉の帰依を受けた第80代座主義演であり,1598年(慶長3)醍醐の花見が盛大に行われている。