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●大教宣布 だいきょうせんぷ

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 明治維新政府が国民統一の過程で1868年(明治1)神祇官再興,翌年宣教使任命,宣教使は神祇方に所属し,宣教使長官のもとに大・中・少・正・権の宣教使と,大・中・小の講義生があり,主として国学・神道・漢学系統の人がこれにあたり,1870年(明治3)正月3日には大教宣布の詔が出て,神慮によって歴代天皇は国体を守ってきたが,これが衰えてきたので万事維新のとき,神道を宣揚し,1872年(明治5)教部省を設置し,教道職を任命,大・中・小の教正・講義・訓導による宣教政策を実施した。その一方1873年5月ごろより仏教も取り込むこととなり,神仏各派の教道職連合にて大教院を芝増上寺につくることとなった。主神を奉斎する神殿も増上寺本堂のうしろにつくることとし,本殿は増上寺の方25間の旧本堂をもってあて大講堂とし,天御中主・高皇産霊・神皇産霊・天照大神の4柱とした。こうして一歩進んだが,ある放火犯によって災上する。そうしたこともあってなかなか足並みはそろいにくかった。