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●大韓民国 だいかんみんこく

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【国号の由来】韓は古代に半島中南部の種族をさしたことばで馬韓弁韓辰韓があったが,李氏朝鮮が成立すると朝鮮が全半島の呼称となった。しかし同王朝は末期,国号を大韓帝国と改めた。これを受け継ぎ,独立後,大韓民国の呼称となった。

【自然】朝鮮半島はアジア大陸の東端に突き出た半島で,面積約22万平方km(日本の約3分の2)。地形は北に高く南に低く,また太白山脈が日本海側に寄って走っているため,東に高く西に低い。山脈から西南や南の方向に大小の川が流れ下り,南・西部は河成平野となっている。西南海岸はリアス式海岸をなし,無数の島がある。気候は日本と比べてやや冷涼で大陸性気候。日本の東北や北海道に似ている。韓国の面積は9万8,477平方km,半島全体の約45%だが,北部分を北韓と呼び,自国領土と主張している。

【民族の形成】朝鮮人はモンゴロイドに属し,言語はトルコ・モンゴル・満州語などのアルタイ語族とする説が有力になっている。古代の朝鮮半島には多くの種族がおり,中国の記録では,前3世紀ごろ,満州から朝鮮にかけて夫余・沃沮(よくそ)・カイ※注1※・狛(はく)などのツングース諸族がいた。また半島中南部の韓族は多くの部落国家に分かれ,馬韓弁韓・反韓の3地域から成っていた。やがて夫余から出た高句麗が他のツングース諸族を従え,漢民族を駆逐し,半島北部を統一した。また夫余・高句麗の一部が南下し,馬韓を統一し百済を建てた。辰韓は斯盧(しろ)により統一され新羅となる。やがてこの新羅が百済を倒し高句麗を滅ぼして,3国を統一し,ここに朝鮮民族の基礎がつくられた。その後高麗時代の契丹・モンゴルの侵入,日本の倭寇などにより混血が進み,李朝時代には鴨緑江と豆満江とを境界線として区切ることによって,満州人や女真人と一線を画し,朝鮮民族の一体性を確立した。李朝期におけるハングルという国字の制定も民族の統一に寄与した。

【歴史】676年唐軍を朝鮮から駆逐し,初めて半島を統一した新羅は,慶州を都として王朝文化の花を開かせた。骨品制といわれる身分制度を軸に貴族政治が行われ,花郎と呼ばれる貴族の青年のエリート集団が文武に活躍した。律令など中国の文物も導入されたが,とくに仏教が護国仏教として保護されて栄え,慶州仏国寺などの遺跡を残している。新羅が末期,豪族の割拠で衰えたあと,開城を都とする高麗がおこり,936年全朝鮮を統一した。当初は前王朝の継承で,律令制貴族政治が行われ,958年には科挙制が導入され,儒教もひろまっていった。この時代の文化遺産として世界最初の活字印刷・高麗大蔵経の刊行・高麗青磁などがあり,世界に誇るべきものが生み出される一方,異民族の侵略に多く脅やかされた時代でもあった。10世紀からの契丹の侵入,12世紀の女真の侵入などがそれであり,1231年からは高麗最大の災難であるモンゴルの強襲があり,40年余り抵抗したが,結局属国となった。最後に倭寇があり沿岸を荒涼された。李成桂はこの倭寇の討伐で名をあげ,親元派を追い払い,朝鮮王朝を1392年に建て,漢城(ソウル)を都とした。李朝は儒教を仏教にかえて国教とし,とくに朱子学は官人支配のイデオロギーとなった。世宗のときには,朝鮮語を自由に表記できる訓民正音といわれる朝鮮文字(ハングル文字)が創案され,金属活字の改良と相まって,多くの書物が刊行された。しかし李朝の官人は,従来の王朝寄生的な官人ではなく,農荘を基礎に地方の族党を背景とするものであったため,15世紀末から党争といわれる政争が激化し,そこへ1592年より2回にわたる豊臣秀吉の対明侵攻略を受け,国力は衰えていった。19世紀になると欧米列強が進出し,通商貿易を求めたが,摂政の大院君鎖国政策をとったため,日本に乗ぜられ,江華島事件を機に1876年江華条約を結ばされ,開国を余儀なくされた。日本はその後,日清と日露戦争で,清とロシアを排除して朝鮮への優越権を得て,1905年の保護条約,1910年の日韓併合によって朝鮮を植民地とするのに成功した。この間,甲午農民戦争義兵闘争などの民衆の果敢な闘争があったが,日本の軍事力により鎮圧され失敗に終わった。1910年から1945年にいたる日本の植民地統治は,朝鮮総督府を通じてなされ,総督が全権を握った。初めは総督は陸海軍大将に限られ,憲兵警察が猛威をふるい独立運動は圧殺された。この強権を背景に大規模な土地調査事業が行われ,農民の土地は没収された。日本の圧政に対し,1919年朝鮮民衆は蜂起し,三・一独立運動を広汎に展開した。これによって日本は,総督に文官もあてるようになり,普通警察を採用し朝鮮文字の新聞の発行を許すなど,武断政治から文化政治へ切り換えたが,植民地支配は変わらず,大規模な産米増殖計画の強行で農民の窮乏化は進んだ。この間朝鮮共産党が創立され,学生や労働者などの抵抗がつづいた。1931年満州事変を機に日本の中国侵略・太平洋戦争が始まると朝鮮はその兵站基地化し,日本人化政策で,朝鮮の言語・文字・姓名は抹殺され,民衆は強制的に徴兵・徴用された。日本降伏後,朝鮮半島には米・ソ両国軍が進駐し,38度線を境に分割された。1946年3月,朝鮮の統一を協議する米ソ共同委員会が開かれたが,これに参加させる朝鮮の政党について意見が分かれ,会談は決裂,1947年アメリカはこの問題を国連に提案し,1948年ソ連の反対を押し切って,朝鮮委員会設置を可決,同年,同委員会により南だけの単独選挙が行われ,12月李承晩を大統領とする大韓民国が発足した。同大統領はアメリカの援助のもとに新国家建設にあたったが,国家治安法などにより独裁政治をすすめ,1950年から1953年にいたる朝鮮戦争を乗り切ったものの,国土は荒廃し,長年の独裁政治に対する国民の反発が不正選挙に端を発して,1960年爆発し,学生を中心とする大規模な抗議デモで失脚した(4月革命)。ついで,同年8月第2共和国が発足したが,政情不安がつづき,これに危機感を抱いた朴正煕少将らによる軍事クーデターが,1961年5月おこり,軍政がしかれた。朴正煕は1963年12月第5代大統領に就任し,第3共和政を発足させ,以後軍事独裁の強権下で,日韓条約を結び,5カ年計画による高度経済成長を推進してきたが1979年10月中央情報部長に射殺された。その後全斗煥国家保安司令官が軍の実権を握り,1980年8月第11代大統領に就任し,現在にいたっている。

【思想・宗教】儒教や仏教が朝鮮に伝わったのは4世紀末ごろで,仏教は護国宗教として新羅で隆盛をみ,高麗で大蔵経刊行により頂点に達する。儒教は李朝で国教となり李退溪・李栗谷などの学者によって朱子学が発展をきわめる。以後この二つの宗教が陰と陽となって,朝鮮文化の中心思想となり,人々の意識の根底をなしている。キリスト教は18世紀の末に入ったが弾圧され,1880年代布教の自由が認められてから,西洋文化の流入と相まって急成長する。これら3大宗教のほかに東学天道教)など,さらには原始時代から連綿とつづく雨乞いなどのシャーマニズム信仰,農社祭・龍神祭などの鬼神信仰,居住地や墓地に吉凶を考える風水信仰などが残っており,人・家・村の生活と結びつき,深いつながりをもっている。

【文学・芸術】文学では朝鮮戦争後「思想界」「現代文学」「自由文学」などの雑誌を足場に戦後の新人が登場,戦争の傷痕や庶民の哀歓を描き,政治を婉曲に批判する作品を残した。4・19革命は文学を活気づけ,以後の激動する政治と社会のなかでその矛盾を究め,民族統一をめざす作品が輩出した(李浩哲・金芝河南廷賢など)。しかし,これらの文学を容共と批判する純粋文学派も一方にあり,論争が行われている。他方,経済成長とともに都市の近代化・農村の新しい村づくりが進められ,その結果国民の意識も変わりつつある。文学をはじめ芸術界では,伝統と近代化の止揚を求めて模索をつづけている。

〔参考文献〕別冊宝石39『朝鮮・韓国を知る本』

ソウル大学東亜文化研究所編『教養人の韓国学』上下,1978,成甲書房

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