●大覚寺統 だいかくじとう
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鎌倉時代,後嵯峨天皇の後,二分して対立抗争した皇統のうち,一方の亀山天皇の系統を,兄の後深草天皇の皇統である持明院統に対して大覚寺統と呼ぶ。この名称は亀山天皇の子後宇多天皇が譲位後,嵯峨大覚寺に住んだことに由来する。皇位の正系争いは,鎌倉中期,後嵯峨天皇が嫡子の後深草天皇よりも弟宮の亀山天皇を愛して譲位したことからおこり,以来,二つの皇統は皇位継承をめぐって対立,鎌倉幕府の容喙によって両統は交互に皇位を継承することとなった。これを両統迭立(ていりつ)という。大覚寺統の後醍醐天皇は,元弘の変によって1333年(元弘3)鎌倉幕府を倒したが,足利尊氏が持明院統を擁して北朝をたてたため,1336年(建武3・延元1)吉野に逃がれ南朝を樹立した。1392年(明徳3・元中9)に南北朝の合一が成ったが,合体条件が実行されなかったので再び分裂。南朝の脈流は大和地方にながらえたが,やがて断絶した。