●第一身分 だいいちみぶん
ヨーロッパ フランス共和国 AD
フランス旧制度下の三身分のなかの僧族のこと。祈る身分として優遇される。フランス革命前夜には約13万人いて全人口の0.5%を占めた。大別して教区付聖職者7万人と修道聖職者6万人とがあり,前者の大司教・司教・司教代理・司教参事会員(計1万人)と後者の僧院長とが高位聖職者とみなされており,その下に前者の司祭・助祭,後者の修道僧・修道尼僧がいた。18の大司教座,121の司教座はほとんどすべて貴族出身者が独占しており,司教となるには27歳に達し,カノン法または神学で学士号を取得していることが条件で,司教代理として実地研修の期間をへることもあった。大司教・司教は1516年の政教協約以来国王により任命,聖職禄を与えられたほか,教会10分の1税の収入があり,司教区より宮廷で暮らすほうを好み,秘蹟もときたま行うだけであった。129の教会参事会は司教座の行政・宗教教育の管理に従事。司祭・助祭は,大多数が小教区のブルジョワジーか農民の子弟で,10分の1税から一部を固定額で受け取るほか,わずかの布施を収入源とし,高位聖職者とは雲泥の開きがあった。革命前の陳情書には彼らの境遇改善の要望が強く示されている。僧院長は聖職禄を一時的に授与され,収入の一部を修道僧の生活費にまわした。イエズス会の禁止(1764)などのため修道僧は漸減の方向で,教育や慈善事業に従事する修道院は別として,信仰の弛緩が男子修道院・托鉢教団に著しかった。高位聖職者で構成される司教会議は,国王に支払う献納金の額を決めるため16世紀末から定期的に会合したが,教義の統一のほか思想・言論にも介入した。教義的には1682年に国家教会制度(ガリカニズム)に立ち,ローマ教皇から離れたが,その後,ジャンセニストに秘蹟を与えるか否かで動揺した。1765年には啓蒙思想の蔓延に警告を発しており,革命前も異教徒の居住権に対し難色を示した。しかし,身分全体としては革命によって宣誓拒否僧と立憲僧へと二つに分裂した。