●第1次五カ年計画(ソ連) だいいちじごかねんけいかく
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ソ連の国民経済発展第1次五カ年計画で,1927年12月の第15同党大会で具体化され,1928年10月1日から実施,1929年5月の第5回ソヴィエト大会で承認されたもの。全国の工業化,農業の機械化および集団化を目指し,予定よりも早く1932年末をもって終了した。【五カ年計画の採用】ソ連の国民経済の発展を図る最初の長期経済計画は,「ロシア電化国家委員会(ゴエルロ)」の計画で,1920年〈共産主義とはソヴィエト権力プラス全国電化である〉とのレーニンの指示のもとに始まったが,1921年,このゴエルロは「国家計画委員会(ゴスプラン)」に改組され,以後これがソ連の経済計画の中心機関となってきた。ゴスプランは,1928年までは個々の工業発展に年次計画方式をとってきたが,1927年ソ連国民経済がネップによって第一次世界大戦前の水準まで回復し,スターリンの一国社会主義が勝利を収めると,社会主義社会建設のための基盤が確立されたとして,その建設のための国家による産業革命,すなわち全国の工業化・農業の社会主義的改造・国家経済に内在する社会主義的要素の伸長強化などを目標とする五カ年計画を立て,1928年10月からその実施に移った。
【五カ年計画の実施】計画は最大限を示す案と最小限を示す案との2種類が準備されたが,その資本投下総額は最大限646億ルーブリ,最小限574億ルーブリ(1923年4月〜1927年8月の投資額は265億ルーブリ)であった。最大限案の内訳は,工業・電化に195億,運輸に100億,農業に232億,都市住宅建造その他に119億ルーブリとなっていた。農業への投資額232億ルーブリは工業のそれに比べて多いようにみえるが,1923〜27年の農業への投資額150億ルーブリ,工業・電化への投資額52ルーブリと比較すれば,第1次五カ年計画がいかに工業化に重点をおいたがが分かろう。なお,工業にあってはその投資額の78%が重工業に向けられ,それによって工業振興の基礎が据えられた。1933年の工業生産高は1927〜28年の183億ルーブリに対し,2.8倍の432億ルーブリに達した。世界工業生産総額においてソ連の占める割合は,1928年の4.9%から1932年の17.5%に上昇した。農業にあっては,その急激な社会主義化は農民の抵抗をよびおこし,また1931年の主要穀産地方における気候不順もあって,その集団化には非常な困難が伴った。しかし,強権をもってする政府の施策により,1932年にはソフホーズ5,000,コルホーズ21万を数え,農民経営の61.5%がコルホーズ化された。その結果,集団化された農業の生産高は,1928年には総農業生産高のうち,わずかに3.3%を占めるに過ぎなかったのが,1932年には76.1%と急速に増大した。それはスターリン体制の政治的勝利であったが,その経済的効果は思わしくなかった。穀物生産高は1928年の7,610万tに対し,1932年7,355万tともいわれ,むしろ減少をみた。また集団化の嵐および飢饉のなかで500万人以上の人々が死んだといわれる。
【第1次五カ年計画の意義】第1次五カ年計画は予定より早く4年三カ月で達成され,ソ連は第2次五カ年計画に移行した。それは,第1次計画で拡充された基礎産業をさらに強化し,工業化をますます進めること,そして軽工業,消費物資の増産にも力を注ぎ,農業にあってはすべての農民をコルボーズヘ組織することを目標とした。こうして,1936年12月,ソ連には基本的に社会主義社会が建設されたとして,いわゆる「スターリン憲法」が制定され,ソ連は共産主義社会建設の段階に入ったと宣言された。第1次五カ年計画はスターリン体制樹立の第一歩であり,現代の巨人国ソ連の開幕であった。なお,五カ年計画は独ソ戦争の時期をはさんで,第6次(1956〜60)まで実施されたが,1959年以降(第21回党大会)七カ年計画,ソ連邦共産党綱領は二十カ年計画の基本目標を定め,同時に,新五カ年計画を立て国民経済の発展を期している。