50音順    検 索

●体育学 たいいくがく

アジア 日本 AD 

 主として人間の運動を対象に,身体的側面から科学的に探究し,人間形成の可能性と限界を追求し,体系化をはかろうとする日本独自の学問的研究分野。その定義については諸説がある。浅井進一は,体育の問題に対してその存在や意義を理解していくものとし,前川峯雄は,身体練習による身体的人間形成の原理・法則を研究し,身体的発達を助成する科学と定義している。体育学の研究対象は体育およびそれに関連したいろいろな事象を含み,また研究方法も可能な限りさまざまな方法がとられる。したがって,体育学とは,人文・社会・自然にまたがる諸科学を総合的に利用した応用科学としてとらえることができる。

【日本における体育学研究の変遷】1878年(明治11)に創設された体操伝習所は〈専ラ体育ニ関スル諸学科ヲ教授シ以テ本邦適当ノ体育法ヲ撰定シ且体育学教師ヲ養成スル〉ことを目的として体育学を教授することを本旨とした。ここにいう体育学は,体操術を主体として解剖学・生理学・健全学など,体育に緊密な関係のある諸学科をもって構成されたもので,いわゆる保健養生的な面が強調されたものであった。「体操伝習所年報」(明治12年9月〜13年8月)中に,〈体育学ハ固ヨリ易々ノ業ニ非サルナリ而テ之ヲ講究スレハ博ク解剖生理健全ノ学科ニ渉猟セサルヲ得ス…将来ノ要務トスル所ハ専ラ我人民風土ニ適スヘキ体育法ヲ試案講究セシムルニアリ是解剖生理健全学ノ精熟ヲ一層急要スル所以ナリ〉とあり,解剖実習の必要,その施設の設置・器械の準備などを提言している。これらは年をへるごとに充実して実施され,やがて,体操伝習所のねらいとした「体育学」が構成されていくのである。しかし,それは前述したようにあくまでも保健養生的な面が強調されたもので,おもに医学的分野の科学に基盤を置いたものであった。

 1904年12月,育成社から高島平三郎著『体育原理』が出版された。高島はもと日本体育会体操学校長で心理学者である。この著書は日本体育史研究家の今村嘉雄をして,明治・大正を通じて最高の部に属する体育書であると評価されたものである。近代体育を学問的に論じて体系し,彼なりの体育学を打ち立てようと試みている。全編が緒論・本論・体育史の3章で構成されている。第3章の体育史は全体の3分の1以上を占め,西洋体育史はアメリカ・フランス・イギリスなどの体育史を欠いているが,日本体育史とともに従来なかった系統的叙述の作品として高く評価することができる。しかし,緒論・本論で述べていることも,今までの類書にみられない特色を大きく出している。彼が本書で重点を置いたのは,心身相関の理の解説にあり,〈最も重きを置けるは身体教育と精神教育との関係にあり。即ち従来教育者が動もすれば運動を以て単に筋肉の発達を目的とするが如くに思惟せる誤謬を覚醒せんことに努めたり〉として,体育の誤った認識を正そうとしている。さらに最後に,〈本書の読者が単に生理解剖衛生等の諸科学に興味を有するのみならず之と共に倫理心理社会生物等の諸学に注意し是等の智識を基礎として身体を研究するに至らんことは著者の特に希望する所なり〉と強調している。ここに本書の大きな特色があり,従来の教育者・体育指導者の体育に対する認識をはかるに越えた新しさをくみとれる。

 その後の体育学研究は高島の研究を大きく越えるものもなく,昭和に入る。もちろん,1924年(大正13)設立の国立体育研究所は体育の総合的研究所として機能し,体育学研究の方向づけをした点で大きな意義をもっている。1929年(昭和4)4月,東京文理科大学が設置され,教育学科に体育学のコースがつくられた。教育学などとともに新しく高度のレベルで体育研究がなされるようになったといえよう。さらに,1931年東京文理科大学体育学設置に関する調査委員会が発足し,寺沢厳男博士・篠原助市博士らが中心となって,国立大学に初めて体育学専攻課程を置くための努力がなされた。その結果,教授会は通過したが国家予算転用のため戦前は実現しなかった。しかしながら,東京文理科大学・東京帝国大学などで体育学を学ぶ学究の増大は体育学研究の質をしだいに高めていったのである。 戦後の体育学研究は飛躍的に発展したといえる。その原因の一つは,大学に「保健体育科」が創設(1949)され,すべての大学に保健体育の教官が置かれて,これら教官が体育学研究を志向するようになったことである。もう一つは研究を発表する場の提供である。すなわち,日本体育学会(1950)や日本体力医学会の創設である。とくに日本体育学会は体育やスポーツに関心をもっていた各方面の科学者の援助・協力を得て発足したのであるが,多くの大学の体育教官たちが体育研究を深めるにつれて専門的な研究者となり,体育学研究もしだいに部門を拡大し,会員数も著しく増大した。1984年の正会員数は5,103名,支部数30,分科会は体育原理・体育史・体育社会学・体育心理学・運動心理学・バイオメカニクス・体育管理・発育発達・測定評価・体育方法・保健・体育科教育学の12分科会よりなっている。また,1984年,鹿児島大学で行われた日本体育学会第35回大会の発表演題数は771で,1982年の東京大学(駒場)での発表演題数779につぐ大会史上2番目の多数となっている。日本体育学会創設の1950年の大会(東京大学,本郷)における発表数51に対して約15倍である。驚異的躍進といえよう。各体育研究者は12の部門をはじめ,各分科会のシンポジウムなどで研究成果を発表し,討論しながらさらに研究を探めていくならば,将来の体育学研究は輝かしい成果をあげることになろう。

【体育学の研究分野】初めに述べたように,体育学は人文・社会・自然にまたがる諸科学を総合的に応用した学問的分野である。体育学研究家の故前川峯雄は体育学の研究分野を従来の実績に照らし合わせて,[1]生理学的研究,[2]心理学研究,[3]力学的研究,[4]社会学的研究,[5]歴史学的研究,[6]教育学的研究などをあげ,それぞれについて説明している。この説は多くの体育学研究者が踏襲しているところである。

 まず,生理学的研究であるが,体育学のうち,中核的な領域を占めるものとされ,身体運動が一般生理学に対してどのような関係にあり,体育の目標である健康や体力の維持・増進のためには,どのような運動をどの程度行えばよいかなどを決定するための重要な側面を追究するものであるとしている。研究にあたっては,生理学研究法を用いて生理学的領域の研究をひろげ,それに新しく知見を加えるのであるが,一方,体育学の一分野を受け持ち,体育の科学的あり方を決めるのに貢献することになるとしている。そこで,この分野は体育生理学と呼ばれ,研究の主要な柱に,[a]身体運動の生理学的研究,[b]体育の基礎としての生理学的研究の二つを置いている。[a]は「人体のなかで生成されるエネルギーのメカニズムと量」の研究。すなわち,運動機構の研究が主となるとり,[b]はいわゆるトレーニングの研究で,体育における「体力づくり」の要求にこたえようとするものであるとしている。

 次に心理学的研究であるが,心理的方法を用いての体育研究には,[a]成長・発達に関するもの,[b]適応問題,とくにスポーツマンの性格に関するもの,[c]学習に関する問題,[d]運動によるセラピーとしてのプレー=セラピーやスポーツ=セラピーなどがあるとしている。とくに学習については体育独特の運動学習に関する研究が要求されるとし,また心理学的研究が強く望まれているものにスポーツ心理学があり,この分野では競争についての問題,そのほかスポーツ成績に関係する心理的要因に対する研究は大変実際的で,かつ強く要望されているとしている。

 次の力学的研究は一般にキネシオロジーと呼ばれ,身体運動の力学的分析とそれから生まれる運動法則の発見を主要な狙いとしており,ときには運動学的研究ともいわれているとしている。さらに現在,体育学研究で重要な位置づけをされているバイオメカニクスに触れ,〈単なる運動学よりも,生体のメカニックと呼ぶ方がその意をよく表わしている〉のが理由でそのように称されるようになったとしている。運動している身体を力学的にとらえ,それを生かしながら,とくに作業成績の向上に対する有効な原理を導き出すのが力学的研究の使命であると結んでいる。

 次に,社会学的研究であるが,体育学を構成する科学としては,体育社会学と呼ばれるもので,この問題領域は,[a]運動家あるいはスポーツマンのパーソナリティに関連した研究,[b]体育運動集団や遊戯集団に関する研究,[c]社会変動と体育およびスポーツとの関連についての研究,に大別できるとする学者もいるとしている。さらに,そのほかにもスポーツ人口の社会学的分析とか,体育やスポーツの制度ならびに文化に関する研究などが含まれていると言及している。

 歴史的研究の項では,体育学研究の一つに歴史的研究があり,一般には体育史と呼ばれるもので,人々がその民族・国家,あるいは地域などの体育について考えるときには,必ず過去の体育のあり方を振り返るものであるとしている。要するに,人間(人類)の体育的な営みについての経験に照らして,将来のあり方を決定しようとするときに生ずる問題にこたえうるような領域が体育史であるとしているのである。

 最後に,教育学研究に触れている。すなわちすでにあげた体育学の分科諸科学は,体育問題を解決するためになされる研究活動を伴うものであるが,一定の対象にむかってある目的をもち,それを達成するのに有効な手段を選んで学習や練習に移そうとするとき,これらの研究成果を具体化していくには教育実践に移すための操作的システム的研究が必要であり,それが教育学的研究と呼ばれるものであるとしている。その成果の体系化したものを体育原理と呼んでおり,具体的には,学習者に実現させたい目標を達成するために内容を選択し,それを教育的に編成することについての原理,さらには体力に応じた指導あるいは処方についての具体的な手順を示唆するための研究が必要であろうとしている。そこで,教育学的・臨床的な研究は,体育を取り巻く諸体育科学と体育実践の中間にあって,両者にそれぞれ働きかける中間的な位置を占めるもので,この種の研究は,学校教育についていえば体育科教育法と呼ばれる分野であると結んでいる。

 以上,故前川峯雄の研究成果である体育学の研究分野について要約して述べてきたが,同氏につづく多くの体育学研究者は多かれ少なかれ,同氏の研究成果を基盤に模索しながら体育学の研究を進めている。体育学研究分野に関する著作・論文も多数発表されているのが実情である。それらのなかにあって,金原勇は体育学には,[1]分化の方向をとるもの,[2]総合の方向をとるものがあるとして,実践的分野について体育学研究の分化と総合の一私案を提供している(「体育学研究の分化」体育原理研究会編「体育の原理

第7号」所載,昭和47年)。また,飯塚鉄雄は,体育学を科学とする立場からこの学問の中心を,身体運動生理学・身体運動心理学・キネシオロジー・身体運動診断・処方学であるとしている。

 また,阿部忍は体育学の体系を体育哲学・体育科学(または,個別体育学)・体育運動学の三つの柱に分けている(『体育哲学』逍遥書院)。このなかで阿部は体育哲学を定義して,体育の本質を対象とし,これを哲学的に研究する分野であるとし,体育科学を人文科学的・自然科学的・社会科学的に体育学を整理したものとしている。また体育運動学は体育の諸科学を基礎とし,運動を総合的にとらえる領域と考えている。同氏によればこの二つの柱は互いに有機的関連性を保ちながら進歩していくべきであるとしている。