●村落(南アジア) そんらく
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南アジアの村落社会の研究は,インド政庁に勤務したイギリス人行政官たちによって始められた。なかでも1862年から7年間政庁の法務官であったヘンリー=メインは,主として北インドに関する限られた知見に基づいて南アジア全般の村落社会の構造を次のように論じた。[1]同一血族集団の成員が一村またはそれ以上の農地を分有し,その共同耕作を行い,荒蕪地を共有し,合議体(パンチャーヤト)を作って村内の問題を処理する。[2]かかる血族集団のもとに,普通はそれに属さず,しばしばカーストも異なる永小作・一時小作・雇農および手工業・サービス業の諸家族がおり,これらが全体として村落を形成する。[3]以上の特徴を備えた村落が南アジアの古来からの村落類型であって,かかる特徴を持たない村落は原型の崩れたものに他ならない。これに対し,1890年代に強力な反論を唱えたのは,政庁の徴税官として30年近くも勤務したベーデン=パウエルであった。彼は当時の英領インド全域にわたって土地制度をくわしく調査し,村落に二つの類型のあることを強調した。第一の型は比較的に北インドに広く見られ,メインが南アジア全域の村落の原型と見なしたものに近い特徴を示しており,彼はこれを「共有村落」と呼んだ。第二の型は北インド以外の地方に広く見られ,農民が家族単位に耕地を所有し,個別的に納税責任を負い,そして村を運営するのは農地所有者の合議体ではなく世襲の村長であり,さらに荒蕪地は村民の共用を認めた国有地である。ここでも土地所有農民の下にしばしば小作・雇農がいるほか,各種手工業・サービス業のカーストに属する諸家族がいるのであるが,彼はこの第二の型の村落を「個別制村落」と呼んだ。このように二類型の存在を強調したのち,彼はメインの村落史論を真っ向から批判する。すなわちメインはここで言う第一類型に近いものが南アジア村落の原型であると主張したのに対し,ベーデン=パウエルは第二の型こそは南アジア村落の原型であり,第一のそれは,アーリア民族以後次々と南アジアに侵入した外来諸民族や,とくに中世に国内でも頻繁に移動・定着した戦闘的諸種族が既存の村落の上に君臨し,または荒地を開拓して同族員に分与し,あるいは王朝の官吏・功臣・聖職者等が既存の村の徴税権を与えられて領主化したものである。だから第一の型では,領主的地主層は共同耕作をしないだけではなくしばしば耕作そのものを行わないのだ,と彼は強調した。
今世紀に入り,とくに第二次世界大戦後活発になった南アジア農村史研究は質・量ともに決して十分ではないが,ベーデン=パウエルの所説がかなりな程度まで正しかったことを示している。ただし,デカン地方以北の北インドと,インド南端部とでは村落の史的変動にかなり大きな相違が見られるので,古代・中世については二つの地方を別々に扱い,その後,植民地時代および独立以後の状況を紹介したい。
【古代北インド】前15世紀ころのアーリア民族の侵入から6世紀グプタ帝国の滅亡までが,ここで言う古代であるが,文献史料的にたどり得るのは前5〜6世紀までである。この時代の村落は一般にサンスクリット語でグラーマと呼ばれ,クツンビンなどと呼ばれた農民が,家族単位で農地について相続・売買を含むかなり明確な私有権を持ち,農地周辺の荒蕪地は村民が共用したといえる。また村には村長グラーミカおよび村老マハタラがいて村内の問題を処理し,各農民は生産物の6分の1から4分の1の地税と雑多な名目の付加税,および若干の賦役労働を村長を通して国家に納めた。他方,後代に見られるように,各村落に多様な手工業・サービス業カーストの家族が付属している現象はまだ一般的ではなく,少なくとも手工業者は職種ごとに都市周辺に別個の集落を作り,農民と生産物の交換を行うのがふつうであった。
他方で,各地に王有地や国有地もあって,受刑者・奴隷のほか一般の農民も誘致されてそれを耕した。また国王が寺院や聖職者に対して特定村落の徴税権を授与し,あるいは王有地・国有地,さらに農民から買収した土地を免税特権とともに授与することも広く見られた。したがって,農民が家族単位に農地を所有するふつうの村落と並んで,寺院・聖職者による一種の領主制・地主制も存在した。
【中世北インド】7〜12世紀のいわば中世前期になると,北インド農村にいくつかの大きな変化が生じた。[1]村落に多様な手工業・サービス業カーストの家族が参入し,農民との間にカースト的分業に基づく複雑な交換関係を持つことが普及し,村落の経済的閉鎖性が強まった。[2]諸王朝は官僚・軍人に対して貨幣給を払う代わりに,特定村・特定地区の徴税権を貸与することが普及した。これはおそらく一定期間または不定期間貸与されたものであるが,王朝の弱化や滅亡により,かかる軍人・官僚が領主化する場合も多かった。[3]これも含めて,各地にサーマンタなどと呼ばれた豪族が発生し,近隣の王朝に服属し,朝貢・軍役に従いつつ所領を支配した。こうして中世前期に,北インドのかなり広範な地域において大小多様な世俗領主制が成立し,一般の農民はその領民あるいは小作農民に転化した。
13〜18世紀のいわば中世後期は,北インド全域でムスリム諸王朝が支配した時代である。彼らはヒンドゥー系王朝の多くを打倒しつつ,結果としてヒンドゥー支配層の分散と領主化を一層促進した。彼らはかかる大小多様な領主・地主をペルシア語でザミーンダール(土地保有者)と呼ぶようになり,彼らに土地・所領の支配権を認めて,徴税・納税責任を課した。またムスリムの高官・軍人の中にも不定期の知行を貸与されて,そのままザミーンダールになった者もおり,さらに特定のザミーンダール権を買い取る富豪もいた。
【南インド】紀元前後からチョーラ・パンディア・ケーララプトラなど,ドラヴィダ系諸王朝が興亡したが,ここでは10〜13世紀頃まではウルクディなどと呼ばれた一般農民が農地を共有する制度がふつうであったようである。他方で,ドラヴィダ系諸王朝は北インドから多数のバラモンを招き,これらに村の徴税権や荒地の所有権を与えて人民のヒンドゥー化を図った。そしてこれら聖職バラモンの間でまず家族単位の土地私有権が成立し,それが徐々にふつうの農村・農民にも影響を及ぼし,これらの間でも13世紀ころまでに農地の私有制が普及した。なかには農地を買収・集積して地主化する者も現れた。
14〜16世紀に,聖職バラモンや寺院の大規模な土地の一部を借地して,小作農民に対して中間層・副地主となる者も台頭してきた。17〜18世紀に,かかる多様な規模の中間層・地主はムスリム用語でミラースダール(財産保持者)と呼ばれるようになった。彼らは一般に小規模な在村地主であり,かかる村落と,ふつうの農民が家族単位に農地を私有する村落とが併存していたわけである。言うまでもなく,南インドでもヒンドゥー化が進むにつれてカースト制度が確立し,各農村に多様な手工業・サービス業カーストの家族が組み込まれるようになった。
【イギリス植民地時代】イギリス東インド会社は,18世紀中葉〜19世紀中葉に南アジア全域を征服し,その約6割を英領インドとして直接統治し,他の4割に数百の藩王国を存続させてこれを間接統治した。英領インドでは主に三種の土地制度が実施された。[1]東北地方にいた多数の大規模な領主(ザミーンダール)に対し,各自の所領の私有権を認め,その地税を永代固定した。所領内の村落には地主の差配・村長,永小作・一時小作・雇農等がいた。[2]北インドの一部でも東北型の大地主を認めたが,ここでは一般に小規模な在村地主層(ザミーンダール)に土地私有権を与え,これらに20〜30年ごとに改訂される地税納入義務を課した。これらの下にも一般に永小作・一時小作・雇農等がいた。[3]南インドでは,小規模な在村地主(ミラースダール)と普通の自営農民とを共に「自営農民ライーヤト」として認定し,家族別に農地の私有権を認め,個別的に地税納入義務を課した。
他方で西部インドでは事情に応じて第二および第三の制度が混用された。
いずれの場合にも,地税金納原則の貫徹・貨幣経済の浸透・都市工業製品の流入・都市への人口移動などにより,カースト的分業に基づく村落内の農工結合が徐々に崩れていった。
他方で藩王諸国では,ふつうの自営農民を中心とする王有村と,王の家臣に世襲で与えられた知行村(地主村)とがあった。
【独立以後】インド共和国では,藩王体制が廃止されたのち,旧世襲知行地主・旧英領インドの各種ザミーンダールなど「法定地主」が全国農地の約4割を所有していたが,これらは農地改革の対象として一般に有償廃止され,その下にいた永小作人が新たに土地私有権を入手し,富農として台頭してきた。これに対して英領時代に「自営農民制」が導入された南・西部インドではかかる大規模な農地改革は実施されなかった。しかし政府の基本政策は事実上の地主・小作関係をも廃止する方向を指向しているため,かえって富農・小地主による一時小作の追放が進行し,その結果,雇農人口が急激に増大した。また,先に述べたように村落の経済的閉鎖性の解体は英領時代に始まったが,独立後これが一層進行している。さらに,村会制度の導入,農村開発政策,協同組合の普及,新品種・新技術の採用などもあって,インドの村落は大きく変容している。
他方で,パキスタンではインド共和国ほどの農地改革も実施されなかったため,大小多様な地主制度が残っている。しかし,バングラデシュ(旧東パキスタン)では,大地主の多くがヒンドゥー教徒であったため,彼らは分離独立の際,土地を捨ててインド共和国に去ったので,大地主制は大体消滅した。
〔参考文献〕松井透・山崎利男編『インド史における土地制度と権力構造』1969,東大出版会
松井透編『インド土地制度史研究』1972,東大出版会
辛島昇編『インド史における村落共同体の研究』1976,東大出版会
深沢宏『インド社会経済史研究』1972,東洋経済新報社