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●村落(東南アジア) そんらく

アジア アジア AD 

【東南アジア村落の類型】東南アジアには多民族国家が多く,村落の形態も多様である。しかし大別すれば,[1]山地少数民族の焼畑農業の村落,[2]平地主要民族の歴史の古い稲作農業の村落,[3]平地主要民族の19世紀に形成された稲作農業の村落,と区分することができよう。山地の少数民族は,焼畑以外にタイ系諸族のように谷間の水田を好む場合もある。彼らは一般に主要民族が平地に形成した民族国家の周辺部に,首長制国家などの小国家を形成し,親族組織・部族制度などによって統合された村落を形成している。ヴェトナム西部山地,ラオス,タイ・ビルマ北部山地,スマトラ島西部山地,ルソン島山地,ミンダナオ島などがその分布地である。歴史の古い平地の稲作村落は,山地少数民族の村落と比べ,早くから民族国家に統合されており,官僚制の末端を担う村役中心の政治秩序に組み込まれて比較的斉一化している。家族・親族組織,共同体的所有・慣行を中心にした社会構造をもつ。マンダレーなどの上ビルマ,チェンマイ・スコータイなどの北部タイ,アユタヤなどの中部タイ,ハノイなどのトンキン,ユエなどのアンナン,ジョクジャカルタなどの中部ジャワ,スラバヤなどの東部ジャワなどの旧都市国家周辺部がその分布地である。最後に19世紀に形成された村落は,植民地・半植民地化の過程で開発された沖積デルタや平野部にある。家族・親族関係や特定の地主との親分子分関係を除き社会的紐帯は弱く,概して農民は個人主義的である。イラワジ=デルタの下ビルマ・チャオプラヤー=デルタの中部タイ・メコン=デルタのカンボジア・コーチシナ・中部ルソン・西部ジャワ・西マレーシア西北部などがその分布地である。東南アジアの村落構造は“ルーズ”だと言われるが,これは上の[3]の型の村落に最も典型的であり,[1],[2]の村落は必ずしもそうではない。

【平地村落の特徴】東南アジアの村落は,日本の村落と比べると集団的凝集力が弱い,農家の移動が激しいなどといわれ,その“ルーズ”さが日本の村落の“タイト”さと比較される。この理由を親族制度の「双系制」に求める見解が社会学者・人類学者の間で有力である。〈出自が父系と母系の双方において,ほぼ同等に重視される双系(bilateral)親族組織が特徴的な社会においては,親族関係は重視されても,排他的な超世代的集団は本質的に形成されにくい〉からである,という。しかし,“ルーズ”な村落が19世紀の新開村に最も典型的に見られることを考えると,親族構造以外の歴史的条件も説明要因としなければならない。19世紀の新開村は,伝統的共同規範が最初から弱く,当初から高度な商品経済にまき込まれていたため農民の個人主義的態度が強く,階級分化が顕著で,また,直接的政治支配が及ばない一種のフロンティアであった。ところが古い歴史をもつ村落では,トンキン=デルタや中部・東部ジャワのように,共同体的土地所有(割替制,公田・職田の存在)が見られ,北部タイやバリ島のように村落レベルの灌漑組織が発達している。祖霊祭祀・村落祭祀などによる親族・村落結合もかなり強い。

【伝統的村落の階層制】歴史研究が不足しているが,伝統的村落は,今日の村落と違い平準的地位にある農民層だけが形づくっていたのではなかったと考えられる。まず村落上層民は場合によって貴族層を含んだ。首都周辺の政治権力の中枢部(畿内)では貴族層は都市に集住したが,周辺地方国では農村に在住することが多かった。この貴族層は,領域にかかわりなく家族・親族的単位の農民を服属させ保護することにより,権力を維持した。首都の権力は彼らを象徴的に官僚機構の末端に組み込みつつ,実質的地域支配を容認した。また,農民層もその内部に身分差がある。大別すると平民身分と奴隷身分があり,後者は捕虜・債務奴隷などで,通常,徭役・租税が免除された。また平民身分も本百姓的な身分(たとえばジャワのゴゴル gogol)と水呑百姓的な従属的な身分とに分かれ,前者が国家の徭役・租税を負担した。有力な上層農の家族は従属農民家族を含む複合的形態であったと見られる。植民地国家権力は農村在住の貴族層=中間支配層を都市の官僚としたり村役としたりすることで統合し,格差の生じた農民層を世帯単位で把握し身分の均一化をはかった。この政策は地域により必ずしも貫徹したわけではないが,徐々に農民層が構成する村落を生みだした。村長には,草わけ上層農家が世襲的に地位を継ぐタイプ(ジャワ・マレー・フィリピン・上ビルマ)と,長老が互選で選出されるタイプ(下ビルマ・タイ・ラオス・カンボジア)とがあると言われるが,この前者のタイプは階層差の大きい伝統村落の遺制を反映したものだろう。なお辺境地や少数民族の村落には徭役や租税を免れた代わりに,特産物を現物税・貢物としてさし出す義務を負わされた場合もある。王室独占貿易の香木・錫・硝石・獣角皮などの商品となったのはこれである。伝統的村落の構造は政治支配のあり方と密接に関係していたと考えられる。

【植民地支配下の村落】植民地権力による中間支配層の在地的権力の剥奪と不自由農民の解放の政策は,必ずしも順調に進んだわけではない。植民地支配を直接受けず,基本的に大土地所有を制限して,解放された農民を広大なフロンティアに入植させた場合(たとえば20世紀のチャオプラヤー=デルタ)は,例外的に小農の構成する村落が生まれた。しかし大土地所有を許した場合,特権的地主・開発地主の小作人のつくる村が生まれた。さらには,植民地権力が伝統的村落の共同体的結合を維持しようとした場合は,旧村落の階層秩序を完全に否定せず,貴族層を村役に据えるなどした。20世紀に入って共同体的土地所有が弛緩してくると,このような村落にも,新開地の不在地主とは違うが,在村地主が発生するようになった。チャオプラヤー=デルタの新開地に入植した自作小農は,通常,兄弟など近親を伴っており,この小親族集団を核として子孫がふえ,婚姻網が形成されるにつれて村落が形成されていった。入植者は粗放的な米作をし,自給自足的な生活から始めて,5割以上の商品化率をもつ小商品生産的農業経営を育てていった。家族労働力の不足は地域内結(ゆい)や若干の雇用労働で補った。草わけ筋の農家は土地所有に恵まれたが,新参者になるほど土地が得にくくなり,1930年ごろから構造的に土地無し農民が発生するようになった。村落行政においては草わけ筋など上層農が村役を担当し,意思決定に参加するのは主として自作農である。諸行事への参加,親族接触などの点でも上層農・自作農は活発である。しかし土地無し層はまったくのよそ者は少なく,村落内の自作農と親族関係にある者が多く,小作人となる場合も親族内の土地貸借という形をとることが多い。やや周辺的位置にあるとはいえ,土地無し層も親族関係を通じて村落社会にゆるやかに統合されている。このような自作小農の多い村落では,地主-小作関係が生産関係として意識されることは極めてまれであった。しかし,大地主制の発達した村落では事情は異なる。たとえばメコン=デルタの地主と小作人の関係は次のようである。地主はある意味では小作人にとって家父長的存在であった。地主は小作人の父が死ねば葬儀代を出し,妻が出産すれば出産祝い金を出し,借金で困れば援助した。しかし,地主は他面では政治権力者であった。小作人間の争いは地主が裁いた。もし暴力沙汰がおきれば,地主は数十人の私兵を集めて威嚇してやめさせた。また自分で裁定できぬ場合は小作人の長老を集めて裁定させた。地主は当初,購入やコンセッションによって入手した膨大な土地を開墾し造成する労働力を必要とした。ある地主の例では,彼はまず最初に親戚や友人を,続いて身受けした債務者などを募った。小作人には労働力の許す限りで無制限に耕作を許した。しかし所有地の開発がほぼ終了し,小作人の小作地獲得競争が強くなると,上述のような家父長的権力者となっていった。同一地主の小作人が集落を形成する場合は荘園的様相を示したし,小作人が諸集落に分散する場合は,地主-小作人の親分子分関係が最も重要な社会的・政治的機能を果たした。地主の保有地が広大であり,そのなかに同一地主の小作人の集落が存在するタイプはルソン島のハシエンダ=バリオが典型的である。たとえば中部ルソンのあるハシエンダ=バリオは,1920年ころ元州知事が貴族から1,000ヘクタールを買い取り,州政府の一職員を差配人に命じ,彼の顔で120人の小作人を募集し,4集落に分けて住まわせたという。村落内の差配人は,在村地主と違い温情を示す家父長としての側面は弱かったものと見られる。以上のような新開地の村落と違って,ジャワ島の場合は共同体的特徴が顕著である。ジャワでは,いわゆる強制栽培期(1830〜1869)に,それ以前には解体が進んでいた共同体的土地所有が,中・東部ジャワの藍・甘蔗栽培地帯で強化された。すなわち,村長・村役には職田を付与し,農民には処分権がなく,共同体規制の強い土地を,持分地あるいは割替地として与えた。この共同体的土地所有の再編強化によって強制栽培の賦役労働力を確保し,農民層分解を抑制したのである。1870年の農業二法(農地法・農地令)は,オランダ本国における産業資本勢力の「自由主義政策」に基づき,強制栽培を漸次縮小し,プランテーション経営への土地貸与と農民的個別所有の創出をねらいとした。しかしプランテーション経営のため,村ぐるみの水田借り入れと賃労働の調達が必要であり,共同体は必ずしも解体しなかった。人口は年率2%の高率で増加し,20世紀初めにはすでに高率の土地無し人口が発生している。共同体的村落内部では,事実上,階層分化が進んでも相互扶助をし,所得配分をする「貧困の共有」(ギアツ)の慣行があった。たとえば,自作農は収穫期には土地無し労働者に所有地の収穫労働を行わせ,収穫物の一部(バウォン)を現物支給した。この労働者の数は本来無制限であり,このため自作農の手取り分は減少傾向にあった。近年,「緑の革命」とともにこの慣習は廃れつつある。

【最近の村落】最近,高収量新品種を導入した近代的稲作(「緑の革命」)が盛んであり,その地域では農民層分解が急速に進行し,若干の企業的農家が出現している。生産と生活の基盤・設備の建設・農業政策推進・体制的思想普及などの受け皿として村落と村役の役割は未曽有に高まっており,村役は名望家型から事業者・実務者型へと変化を遂げている。農村電化などを契機に村落の生活様式も大衆消費的様相を強めている。膨大な過剰人口が村内に滞留し,都市に流出してスラムを形成し始めている国も多い。

〔参考文献〕口羽益生「東南アジアにおける村落の構造」東南アジア研究 12−41975

宮本謙介「オランダ植民地支配とジャワ社会」歴史学研究497,1981

滝川勉編『東南アジア農村の低所得階層』1982,アジア経済研究所