●尊号事件 そんごうじけん
アジア 日本 AD1789 江戸時代
1789年(寛政1),光格天皇が,生父の閑院宮典仁親王に太上天皇の尊号を贈りたいという希望を幕府に伝えた。これに対し幕府老中松平定信は,皇位にも就かず皇統を継がなかったものが太上天皇になった前例がないという理由でこれに反対した。そのため京郡は一時見合わせたが,1791年公卿の大多数が賛成しているということで再び幕府へ要請した。定信は武家伝奏正親町公明・万里小路政房・議奏中山愛親らを処罰したため,光格天皇は尊号宣下を断念することになった。幕府は閑院宮家に家領2,000俵を増献し慰撫をはかったが,朝幕関係に禍根を残したものといえる。この事件と関連して,将軍家斉も実父の一橋治済を大御所として江戸城西丸に移して孝養を尽したいと希望したが,定信は大御所は前将軍の称号であるからとして反対し実現させなかった。松平定信の名分を重視する姿勢が示されているが,この二つの事件が老中辞任(1793)の一因とされている。