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●祖霊 それい

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 祖先の霊魂のこと。祖霊には,始祖・始祖霊・祖神・死者・死霊などの意味がある。しかし祖先の霊魂は三種類に大きく分類することができる。一つは近い祖霊であり,二つは遠い祖霊である。近い祖霊とは本人の身近に知る死者の霊魂のことをいい,曽祖父母・祖父母・父母らの霊魂がそれに当たる。遠い祖霊とは,家および同族の始祖の霊魂を意味している。氏神をそれと理解していることが多い。この他,両者をひっくるめて漠然と祖霊と呼んでいる場合がある。13回忌とか33回忌とか50回忌などの最終年忌法要(トムライアゲ)を済ませると,以後,死者は個性を失い,祖先ということばによって表されるようになる。そして,トムライアゲを済ませた死者の石碑や位牌などは捨ててしまう地方がある。三重県の伊賀地方がそのようなところである。人々の頭のなかでは始祖霊,あるいは中興の祖を除いては,死者は祖霊ということばによって理解されているにすぎない。また,仏教が伝来しそして民間に浸透し,人々が“仏(ほとけ)”となることを理想とするようになった平安時代末期以降になると,祖霊を仏と呼ぶことがおこってきた。仏となると人々は安心して死者を忘れるものであった。しかし,本来地獄などに落ちて浮かばれぬ死者に対して行われるはずの追善供養は,仏にはなすべくはずもなかった。それが今では“民俗”として,月忌・年忌法要が仏に行われ,さらに盆や彼岸などにも祖霊を祭るようになった。そして現在では大阪府藤井寺市や兵庫県西宮市などでは,盂蘭盆会にあたり,過去帳などの記録に残る死者全員の戒名を経木塔婆に書き,それを祭ることが行われている。供物もオチヤトウも祖霊のすべてになされるのが原則である。死者は永遠に個性をもって存在することになった。そうすると,祖霊の平素の存在場所は西方極楽浄土などの仏や神の世界ではなく,自分の戒名の刻まれている石碑ということになる。したがって盂蘭盆会の祖霊祭りのお迎えも墓地へ向かってなされることにもなる。個性をもつことのなかった時代の祖霊は,はるか遠い海の彼方に住んでいると考えられていたらしい。それはお盆のお迎えは墓地であっても,お送りは海岸であったり河川であったりするからである。海の波や川の流れに乗って祖霊は帰って行ったのである。鳥取県の名和ではお迎えもお送りも,海岸で松明を海に向かって大きくゆっくりと左右に振って行うという。これらは仏教の他界観と関係があると思われるが今はわからない。ともかく,仏教伝来以前の祖霊観,およびその居処はわからない。祖霊・死者の世界に人々が関心をもたなかったからである。むしろ恐怖の対象としてつとめて死を避けたからであった。このおそるべき死の世界を金色の世界・物の豊かにある世界・楽しい世界として描いてみせたのが仏教であった。このことによって人々は死の世界を恐怖の対象ではなく,欣求すべきところとして関心をもつようになったのであった。一方,中国や半島の文化との接触によって,系譜観念が導入されてきた。始祖霊への関心である。したがって,これは必要な階層の者がその必要なときに受け入れていった。早くには外交上の必要から大王家とその周辺の貴族,そして推古朝か大化の改新のころには大豪族たち,奈良時代になって中小貴族,平安半ばごろになると武士団の棟梁・武士,明治になって一般の人々へと受け入れられていった。祖霊信仰の成立である。

〔参考文献〕田中久夫「祖先祭祀と儒学」神戸女子大学紀要17―1,1984

田中久夫「他界観」『日本民俗文化大系2』1983,小学館

原田敏明「両墓制の問題」・「両墓制の問題再論」『宗教と民俗』1970,東海大学出版会