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●ソフホーズ

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 Sovetskoe khozyaistvo(ソヴィエト農場)の略称で,ソ連における大規模な国営農場のことである。つまり,国家が所有し,経費を支弁・組織・管理されて雇用労働者により耕作される大規模農業企業をいう。その生産物の種類により,穀物・綿花・野菜・蓄産など諸種のものがある。コルホーズ(集団農場)とともにソ連の社会主義的農企業の一つで,経済計算制を基礎に国家計画に従って,近代的設備と技術とをもって経営され,農民に大規模機械化経営の有利性を学ばせる模範農場として設立された。

【初期のソフホーズ】1917年の農業革命における農民への土地分配により,資本主義的農業大経営組織は終わりを告げ,ロシアは小規模農耕民の国となったが,農民間に個人主義的・小市民的性格を永続させないため,また農業生産性を高めるために農業の社会主義的集団化の必要があった。ソフホーズが現実に組織されたのは,1918年に地主の没収土地に小規模なビートおよび種蓄用農場がつくられたことに始まるが,1919年2月14日の基本土地法令はソフホーズに法律的形態を与え,その主要任務は[1]農業生産性の向上,[2]農業集団化への条件の創出,[3]文化的農業基地の組織とされた。1921年末にはその総数は5,629に達し,総面積は360万ヘクタールに及んだ。国内戦時代のソフホーズは軍隊への主食・飼料の供給の役割を果たし,また工場付属農場の形で,その工場労働者に食料を供給した。ネップ期において,政府は国家予算のなかから農場経費を支出することを廃し,ソフホーズの自立的経営をはかったので,その立場は弱まった。1926年,その総数は3,347に減じ,総面積も232万へクタールとなった。もっとも,農場の合併によりその規模は拡大された。しかし,その総耕作面積はソ連の総耕作面積の1.4%,穀物総生産量は国全体の1.6%,市場出荷穀物も全体の3%以下であり,また,大規模農業が小規模農業より生産性が高いということを証明することもできなかった。

【ソフホーズの拡充強化】1928年10月から実施された第一次5カ年計画において,政府は全国の工業化とともに農業の機械化および農業の集団化を推し進めることとした。農業の集団化とは,農民の小農場のコルホーズ化と,ソフホーズの拡充強化であった。それによれば,向こう5年間に,総計600万ヘクタールの面積をもつ約150のソフホーズを建設,年180万tの穀物収穫を見込み,ソフホーズ全体への投資総額10億ルーブリを予定した。また新ソフホーズの平均面積は従来の10倍ぐらいのもの,38,000ヘクタールぐらいのものも考えられた。1928年11月のウクライナのソフホーズにおける機械トラクター集結所(MTS)の創設は,農業集団化に大きな役割を果たし,政府の強力な拡充策で,ソフホーズは大きく発展した。その耕作面積は1931年450万ヘクタール,1932年890万ヘクタールに達し,穀物供出額も1931〜32年には280万tが見込まれた。しかし,農場数の増加や耕地面積の拡大はなされたもののその生産性は低く,政府への穀物供出額も予定の40%,115万tにとどまった。その規模の大きさも装備の不十分・労働者の無規律・劣悪なる管理で十分効果をあげなかった。こうしてソフホーズは,その総数・面積においてジグザグコースをとりながら発展していった。

【近年のソフホーズ】第二次世界大戦勃発当初,ソフホーズの数は4,159,年平均労働者数は137万人,総作付面積1,160万ヘクタール,全国総作付面積の7.7%を占めた。戦争でソフホーズは大打撃を被ったが,1945年には回復の兆しを示し,1954年から未開拓地の開拓や畜産の拡大,巨大ソフホーズの新設を大規模に進め,ソフホーズのソ連農業に占める役割は増大した。1968年にはその数13,398,年平均労働者数851万人,総作付面積8,920万ヘクタール,全国総作付面積の43%を占めるに至った。1980年末,総数21,000を超え,1ソフホーズ当たり,労働者数825人,面積28,300ヘクタール,作付面積1万ヘクタールの巨大農企業である。