●側用人 そばようにん
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江戸幕府の職名。はじめは近習出頭役と呼ばれ,つねに将軍の側近にあってその命を老中に伝えた。席次は老中と若年寄の中間であり,常設の官職ではないが将軍の信任篤い者が選ばれたので,その権勢は老中を凌ぐものがあった。とくに1684年(貞享1)大老堀田正俊が城中で暗殺されてのち,老中の執務部屋が将軍の居室より遠ざけられたため,側用人の力が一段と強まったという。五代綱吉に仕えた柳沢吉保は,670石の小納戸役から15万石の大大名にまで栄進しその実力を示している。1680年(延宝8)牧野成貞が任ぜられてから,1841年(天保12)堀親密のとき廃されるまで29名の側用人があった。6代家宣・7代家継のときの間部詮房,10代家治の田沼意次,11代家斉の水野忠成などが名高い。定員は1名。役高1万石以上。〔参考文献〕笹間良彦『江戸幕府役職集成』1965,雄山閣