50音順    検 索

●祖先崇拝 そせんすうはい

AD 

 先祖の霊を祀りその加護を得ること。祖霊信仰とほぼ同義語に使用されているが,ancestor worshipの訳語である。祖霊を崇拝することは,未開社会から日本のような先進諸国にいたるまで広く認められる。しかし祖先崇拝に関する定義は研究者によって必ずしも一致せず,フォーテスの定義,つまり社会制度における地位や役割に視点を据え,信仰・儀礼・行動の規範の総体を祖霊崇拝ととらえる定義に従うならば,限定された社会においてのみ認められることになる。また祖先崇拝と世界宗教との関係をみると,仏教が祖先崇拝と習合するのに対して,キリスト教・イスラーム教は祖先崇拝を排除しているといわれている。いずれにしても,日本における祖先崇拝は,古代以来今日にいたるまで日本人の信仰全体のなかの中核的部分に位置してきたといえよう。

【日本人の霊魂観】日本における祖先崇拝は,家の先祖が強調されているところに大きな特色があり,それは近世期の寺檀関係・寺請制度および近代以降の宗教政策によるところが大きい。しかしより根本的な問題として日本人の霊魂観をみなければならない。日本人の霊魂観は,柳田国男をはじめ日本民俗学が明らかにしてきたところである。それによると,個性的で荒々しい死者の霊魂は,子孫の祭祀(供養)を受けることによって次第に清まり非個性的な祖霊となるというものである。そしてその祖霊は山中あるいは海のかなたを住処とし,毎年ときを定めてこの世に来臨して子孫を守護するとともにその繁栄を約束するという。ただし祖霊となれる死者の霊魂は,人生を全うしたものに限られ,未婚のままで死亡したり,非業の死を遂げた霊魂はいつまでもこの世に留まり,疫病・災害など人々に災禍をもたらすと考えられている。こうした災禍をもたらす霊魂は御霊と呼ばれているが,これらの祖霊と御霊という表裏一体の関係にある二種の霊魂を認めるところに日本人の霊魂観があるといえよう。

 一般に先祖と称する場合,死霊を含んで使用されるけれども,より重要な点は祖霊にあり,そこには少なくとも二点の重要な問題が含まれている。その一つは,死霊から祖霊への転化とその祭祀場所・時期であり,もう一点は祖霊と氏神をはじめとする諸神との関係である。前者の場合,一般に33年忘や50年忌が死霊から祖霊へ転化する時期にあたる。これは弔切り(といきり)・弔い上げ(とむらいあげ)と称され,通常の年忌に用いられる塔婆とは異なり,自然木を使った異形塔婆を立て,〈ホトケ(死者の霊)が神になった〉〈ホトケが先祖になった〉と観念されていることが一般的である。このほか弔い上げに際して死者の位牌を捨てたり寺に納めたりする例も少なくない。また先祖を祀る場所も屋内の仏壇をはじめ墓・寺院・山など多様であるが,祖霊=先祖が毎年ときを定めてこの世に訪れるという観念からみると,盆行事に造られる盆棚などのように臨時の祭壇が本来的なものであり,仏教の浸透や神の去来信仰の変化によって祭場が固定化し,墓・仏壇が先祖を祀る祭場として一般化したものである。墓は単墓と両墓に分けることができるが,なかでも死体を埋墓(うめばか)と石碑が建てられている祭墓・詣墓(まいりばか)とがセットになっている両墓制の場合には,祭墓・詣墓が先祖の祭場となっており,埋墓への参墓は一定期間を過ぎると打ち切られ,なかには埋葬した後にはほとんど参ることがない例も少なくない。ここにも死霊と祖霊に対する観念の相違とともに先祖祭祀のより古い形態を見ることができる。

【祖霊・先祖と諸神】祖霊・先祖が毎年ときを定めて来臨する信仰からして,先祖を祀る時期は農作業の区切りごとに行うことが本来的な姿であり,日本の年中行事も農民のそれを基本としている。そのなかでは盆と正月との両行事がその双璧をなしている。盆行事は仏教的色彩が濃く,祖霊・先祖の祭祀とする観念が一般的に認められるが,正月行事には歳神・正月様などを迎え祀るとされ,祖霊を祀るという観念が稀薄である。しかし盆と正月に共通する点が多いことでも明らかなごとく,両行事は年二度の魂祭りであり,この点は民俗学が明らかにしてきたところである。こうした点からみると,正月に祀る歳神,あるいは作物の生育を守護する田の神などは先祖・祖霊の別姿であると見なすことができよう。同時に屋内に祀られる納戸神や台所に祀られる恵比須・大黒なども祖霊・先祖の機能神,分化した姿と位置づけることができる。

 先祖を祀る観念は異なった三つの位層に分けることができる。第一点は生前の人間関係を投影した直接的な祖先崇拝であり,新盆などをはじめとして年忌・供養がこれにあたる。第二は家・同族などの系譜意識にもとづく間接的祖先祭祀であり,この形の祖先祭祀が古代以来日本の祖先崇拝を特徴づけているものと言える。たしかに古代氏族の祀る氏神は『古事記』『日本書紀』『新撰姓氏録』などに見られる神々を祖としており,その氏神は祖神・先祖ではないとする考え方もある。しかしながら柳田国男が明らかにしたところによれば,氏神には村氏神・同族氏神・屋敷氏神の三種があり,同族氏神が昇化して産土神(うぶすながみ)・鎮守神と一体となっている現在の村氏神となる一方,同族氏神が家の独立などによって屋敷氏神に分化したとされる。さらに屋敷氏神に関する民俗学的研究でも本家を中心とした同族全員が祀る氏神が最も古く,それが分家の独立によって本家のみが祀る氏神祭祀,各家にそれぞれ氏神を祀る各戸型氏神祭祀が成立したとされる。同時に神祇・仏菩薩・先祖と多様な神名が見られる氏神の本性も死霊が昇化した祖霊・先祖を祀るものであったという。この考え方によると,古代氏族の祀る氏神もその本来的姿は祖神を祀ったものであり,古来一貫して祖神・先祖を祀るという信仰が氏神祭祀の中核に位置してきたと考えることができ,それは系譜意識にもとづく祖先祭祀・祖霊であったといえよう。

 第三はイデオロギーが優先する祖先崇拝のタイプであり,古典に登場する氏族の神々は,第二のタイプを本来的姿としながらも,天皇家の系譜を中心としてイデオロギーによって形成されたものであり,今日に至るまで多くの実例を指摘することができる。なかでも明治以降の近代においては,祖先崇拝を中核として国家的統一を図ろうとしたものであり,第三の典型的実例といえよう。つまり天皇は〈祖宗ニ承クルノ大権〉と旧憲法で規定し,さらに旧民法においては〈系譜・祭具及ヒ墳墓ノ所有権ハ家督相続ノ特権〉(987条)と家長権に代表される家制度の保持と,それを強化する祖先崇拝に国家統一の理念的基礎をおいてきた。第二次世界大戦後の改正民法によって家督相続が全面的に廃止されたものの,改正民法においても〈慣習に従って祖先の祭祀を主宰すべきものがこれを承継する〉と祖先崇拝に関する項目が認められる。

【祖先崇拝と仏教】仏教が伝来した当初の律令国家においては,国家安穏に示されるごとく,現世利益的信仰が支配的であったが,その一方で先祖祭との習合が認められ,貴族が建立した氏寺もその一つの表れである。中世以降仏教の民間への浸透に伴って追善回向(えこう)に重きがおかれ,祖先祭との習合がますます進展し,江戸時代の寺請制度や滅罪寺の一般化によって先祖祭に中心をおく仏教が確立したといえよう。このことは仏教にとっても日本的仏教の確立と見ることができる。今日仏教行事とみなされている盆行事・春秋彼岸などの行事は祖先崇拝に中心がおかれているが,祖先崇拝を中心とする古来の神信仰と仏教との習合した結果,日本的な仏教行事として定着したものである。いずれにしても日本の祖先崇拝を考える場合,仏教を無視しては語ることができない。

〔参考文献〕柳田国男「先祖の話」『定本柳田國男集』10巻,1962,筑摩書房

柳田国男「氏神と氏子」『定本柳田國男集』11巻,1963,筑摩書房

竹田聴洲『祖先崇拝−民俗と歴史−』1957,平楽寺書店

竹田聴洲『民俗仏教と祖先信仰』1971,東京大学出版会

前田卓『祖先崇拝の研究』1965,青山書院

圭室諦成『葬式仏教』1963,大法輪閣