●ソクラテス
ヨーロッパ ギリシャ共和国 BC469
前469〜前399 古代ギリシアの最も有名な哲学者。アテナイの近郊アロペケ区に属し,父ソプロニスコスは石工または彫刻家,母パイナレテは産母と伝えられる。妻クサンティッペとのあいだに三人の子どもがあった。中産階級程度の資産を相続したらしく,重装歩兵として出征したことがあるが,哲学に専念して家事をかえりみず,少なくとも晩年には貧困の生活を送っていた。【史料】ソクラテスの異常な教育研究活動は同時代人に注目され,アリストパネスの喜劇『雲』(前423初演)に戯画化されて登場する。ソクラテス自身は著述しなかったが,その弟子たちが彼の言行を描き出している。その一人クセノポンの『ソクラテスの思い出』などによれば,彼は平凡な実践道徳を説く教師であったことになるが,最大の弟子プラトンの対話篇に登場するソクラテスは,批判的精神が強く,徹底的な主知主義の立場に立つ理論家である。19世紀には,クセノポンの描く像のほうが実際のソクラテスに近く,プラトンは自分に引きつけて理想化しているのだとする見方が有力であった。しかし今日では,むしろ主としてプラトンの初期対話篇からソクラテス像を探り出すようになっている。
【研究教育活動】ソクラテスの生まれ育った時代はペルシア戦争後のアテナイ黄金時代であり,ギリシア各地から自然哲学者アナクサゴラス・ソフィストのプロタゴラスなど,有名な知識人が来訪したので,その影響下に彼も研究を始めた。若いころには自然学(自然界の生成変化の原因を探る)に親しんだらしいが,やがて自然についての認識の可能性や意義を疑うようになり,主として人間自身の道徳の問題について正しい知識を得ようと努力することになった。しかし同時に彼には神秘家の側面もあり,神託を信じ,また自己のなかに神のようなもの(ダイモン)の合図を聞くこともあった。そして「ソクラテス以上の賢人は存在しない」とのデルポイのアポロン神の託宣を伝えられて,彼にとって意外な神託の意味を探るため,世人と自分との差異を検討し,結局,人間の最高の知恵は〈無知の自覚〉であり,その点で自分は万人に優れているのだと悟った。そこで同胞市民に無知を自覚させ,愛知への道へ進ませることを,神によって自分に課された使命だと信じ,主として徳(勇気・敬虔・思慮など)の定義(本質)を人々に問い,無知を自覚させつつ,問答により真の知識へと共同で到達しようと努めた。彼の考えでは,正しい知識はそのまま正しい実践を生み,したがって善く生きることができるのであった。ところが,彼の後半生はペロポンネソス戦争(前431〜前404)と重なっており,極端な民主政(衆愚政)とそれに対する寡頭派の反動もあった。彼自身は可能な限り政界から身を引いていたが,彼の弟子や友人のなかから,アルキビアデスやクリティアスのような寡頭派的な危険人物も出たため,人々の反感や誤解を招き,「国家の神々を否認し,青年を腐敗させた」との口実のもとに,アニュトスおよびメレトスなる人物によって告発された。法廷において一歩も譲らず,毅然として弁明したためかえって死刑を宣告されることになったが,国法を尊重して従容(しょうよう)として死んだ態度は弟子たちを感動させた。そしてプラトンその他多くの人々がソクラテスについて記述したため,彼は世界中でも最も有名な人物の一人となった。その身体は頑健,容貌は醜く,粗末な衣服をまとい,しかも妻は平凡な口やかましい女性で,後世,悪妻の代表となる。これらの悪条件のなかで,ただ彼の精神だけは異常なほど強靱で,善や美を求めつづけたのである。