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●蘇我倉山田石川麻呂 そがのくらやまだのいしかわまろ

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 ?〜649(大化4)古代の豪族蘇我氏の一員。蘇我馬子の孫にあたり,645年に中大兄皇子らによって殺害された蘇我入鹿とは従兄弟の関係であった。『藤氏家伝』によると石川麻呂は入鹿と仲が悪く,人となりは剛毅果敢,威望が高かったという。蝦夷・入鹿の蘇我本宗家に対し,石川麻呂は同族のなかでも有力な位置を占めていたのであろう。中大兄中臣鎌子藤原鎌足)は入鹿討滅をはかったさい,石川麻呂を味方に引き入れるためにその娘を中大兄の妃とした。そして三韓から調が貢進された日,石川麻呂は天皇の前で上表文を読唱し,まさに読み終わろうとするとき入鹿は斬られたのである。いわゆる大化改新にあたっては右大臣の要職にあったが,4年足らずで異母弟蘇我臣日向(そがのおみひむか)の讒言により自殺に追い込まれた。まもなく石川麻呂の無実は明らかになったという。“改新”の政治変動のなかで犠牲となったのである。