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●蘇我蝦夷 そがのえみし

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 ?〜645(大化1)推古朝末年から皇極朝にいたる間の大和朝廷の有力者。父・馬子の死後,大臣(おおおみ)として朝廷で権勢を振るった。蝦夷の名が廷臣に見えるのは推古朝からであるが,重要な役割を果たしたのは推古崩後の皇位継承者の決定に際してである。当時有力な候補者としては田村皇子と山背大兄皇子(やましろのおおえのみこ)がいた。蝦夷は推古の遺詔と称して田村皇子の擁立をはかり(舒明天皇),それに反対する境部臣摩理勢(さかひべのおみまりせ)を殺害した。皇極朝に入ると山背大兄の私民を使役して自らの墓所をつくらせ,また自らを天子に擬する行為があった。そしてついに蝦夷の子の入鹿(いるか)は山背大兄を襲い,一家を自殺に追いこんだ。このとき,蝦夷は入鹿の専横を怒り嘆いたという(『日本書紀』)。645年(皇極4)に天皇の前で入鹿が殺されると一時は蝦夷のもとに与する者が集まったがそれも散亡。結局蝦夷も誅せられるに至った。