●蘇我入鹿 そがのいるか
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?〜645(大化1)7世紀前半,舒明・皇極朝において権勢をふるった人物。蘇我蝦夷(そがのえみし)の子。入鹿は父をも凌ぐ権力者ぶりで国政を牛耳った。643年(皇極2)10月に蝦夷は本来天皇から与えられるべき紫冠を勝手に入鹿に与え,大臣の位に擬した。以後,入鹿の行動は目立つようになる。すなわち翌11月には聖徳太子の子で有力な皇位継承候補者であった山背大兄皇子(やましろのおおえのみこ)を一族もろとも死に追いやり,翌年11月には父とともに飛鳥の甘檮丘(うまかしのおか)に城柵のごとき家を建て,それらを宮門(みかど)と称し,常に兵士50人をして守護せしめた(『日本書紀』)。このような行動は諸王諸臣の反感を招き,ついに645年(皇極4)6月,朝堂において中大兄皇子(なかのおおえのみこ)・佐伯連子麻呂(さへきのむらじこまろ)らによって入鹿は斬殺された。父蝦夷もまもなく誅せられ,ここに蘇我本宗家は滅び,いわゆる大化改新が胎動する。