50音順    検 索

●葬法 そうほう

AD 

 葬法とは,死者を葬るための遺体の処理の方法をさす。わが国の葬法は,古来,風葬・土葬・火葬が行われ,まれには水葬も行われたという。

【土葬】わが国では,古来,最も普遍的な葬法とされ,近年まで全国的に広く行われていたが,現在ではしだいに火葬に移行している地域が多い。民俗慣行としての土葬では,手足を折り曲げて竪棺に納めて埋葬するのがふつうであった。寝棺に納めるのは,庶民の場合には異常死の場合であったと思われる。この竪棺(いわば屈葬である)形式は,絵巻物などからみると,近世さらには中世にまで遡るのではないかと推測される。縄文時代の屈葬につながるのか否かは,資料不足で断定出来ない。棺は木棺が多いが,時代や地域により甕も用いられる。埋葬のための穴掘りは葬式組によるが,以前にはオンボウが穴掘りしたところもある。穴の深さは地域や時代により変化が見られるが,きわめて浅いところもある。埋葬した地点の土を盛り上げ芝を敷くところ,適当な大きさの石を敷きつめるところもある。

【火葬】火葬は,仏教とともに渡来した葬法とされているが,考古学の成果によればそれ以前にも火葬はあったようである。民俗慣行としての火葬は,土葬が全国に広く行われていた近年までは,都市部の火葬を除くと,真宗地域に火葬が行われているという状況であった。したがって,土葬がふつうであった地域では,伝染病による死者の場合に火葬が行われるという程度であった。そのため,当時は火葬場の施設をもたず野焼きが行われた。葬式組が薪などの燃料をもち寄り,棺(土葬と同じく竪棺が普通)の上に薪を積み上げ,その上に濡れ莚をおいて焼いた。葬式組が火葬をするが土地によりオンボウが従事した。火葬は,死体を短時間に骨化せしめる葬法で,焼却と納骨という二回の手続きをとる。したがって,土葬に比すれば葬法の大きな変革であったと考えられる。

【風葬】鎌倉時代初期のものとされる地獄草紙や,文献の記事などから,古代には風葬もしくは遺棄葬が多かったのではないかと推測される。奄美や沖縄の南島地域の風葬は,遺体を蓆で包んで後生山と称する藪のなかに放る,棺を岩陰に送る,棺の上にモーヤという仮小屋を立てる,一本の柱の上にすえられた小屋のなかに棺を納める,長方形の石垣囲いの中に棺を収め,蓆を被せたあとで縦横に竹竿でおさえて,その上に石を置いてムーヤと呼ぶなど,さまざまの形態が見られたが,遺体を空気に曝して骨化を待つという点では共通している。骨化すると,洗骨改葬が行われる。かつて,風葬が行われた時期には,これらの島々では犬を飼わなかった。本土の島々にも犬飼わずの習わしがあったのが知られる。これは風葬や薄葬(土葬の)が行われた名残りではないかと考えられている。風葬は,骨化・洗骨改葬の二段の手続きをとるので,火葬が二段の手続きをとるという点では共通している。また,両墓制とも関連する点があるとの説もある。

【水葬】土葬・火葬のように,常時,水葬が行われるという風はわが国の民俗には見られない。しかし,船旅中の死者を水葬する,間引いた嬰児を菰に包み,男なら扇子,女には杓子を添えて川に流す,水辺の葬地から洪水の折にたくさんの遺体が流出したなど,水葬を想わせる事例も少なくない。また,過去には,流行病で多くの死者が出て,土葬や火葬では追いつかず水葬にした例もある。古墳に描かれた天鳥船や万葉集のなかに水葬を思わせる歌もある。熊野の補陀落渡海と水葬との関連を言う人もある。妊婦が死ぬと,樫の柄の鎌を逆手にもって開腹する,左鎌で開腹して身二つにしてやる。幼児,ことに流産児に残酷な処置をするなど,注目すべき特殊葬法もある。

〔参考文献〕伊波普猷『南島古代の葬儀』民族2−5,1927

井之口章次『日本の葬式』1977,筑摩書房

土井卓治・佐藤米司編『葬送墓制研究集成』第1巻,1979