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●宗法 そうほう

アジア 中華人民共和国 AD 

 周代に成立した,貴族社会における血縁集団宗族)の組織規定。宗法は周封建制度論の根底をなすものであるが,その原則は周王室の王位継承にともなう政治組織から生まれたものと考えられる。しかしその発生は殷代末期の長子相続制にさかのぼるともいわれる。宗法は“大宗”と“小宗”の二つの宗族集団規定から成る。大宗とは諸侯の公子(別子)を祖として,嫡長子孫相続によって無限に続いてゆく家柄である。これに対し,小宗とは大宗の家から分枝した大宗の兄弟の家を指し,大宗の弟たちが祖となってこれもまた嫡長子孫相続に従って形成される家である。ただし小宗は大宗と異なって,高祖・曽祖・祖父・父・子の5世代までを限りとする集団で,世代の下るごとに高祖もまた下降する。ゆえに大宗が“百世不遷の宗”と呼ばれるのに対し,小宗は“五世にして遷る宗”と称される。小宗における同世代の広がりは,父の兄弟の子を従父兄弟,祖父の兄弟の孫を従祖兄弟,曽祖父の兄弟の曽孫を従曽祖兄弟,高祖の兄弟の玄孫を族兄弟と呼んで,これまでを小宗の範囲としている。したがって5世代を過ぎると,高祖の兄弟より出た宗族は別の小宗となり,族兄弟は新たな小宗の成員となる。また小宗は各世代の大宗からも次々と生ずるはずである。かくて小宗集団は世代の下るごとに無限に増加する。こうして分裂する小宗は,一方常に大宗の祭祀に参加することによって大宗のもとで合宗収族されて,宗族意識が保持される。以上は文献に表わされる宗法であって,これが具体的にどの程度実現されたかは明らかでない。しかし宗法は“礼”制度の基礎をなすものであるから,おそらく,西周後半から春秋時代にかけて,貴族たちの家において伝統化されていったのであろう。一般的に,宗法は卿大夫以下の宗族規定とされており,大宗家が卿大夫となり小宗家は士から庶人に及ぶというが,しかし宗法組織が周王室におこったものと考えれば,それがしだいに諸侯・貴族の宗族の間に及んでいったものであろうし,また王室と諸侯,諸侯と卿大夫の関係もこの原則によって考えられた(封建制度)のである。しかし君主権が確立されると,血縁関係の原理とは異なった君臣関係が形成されるようになり,宗法は卿大夫の族内秩序であると考えられるようになった。戦国時代はこの君臣関係が生まれて来る時期であり,その意味で宗法の変貌するときに当たっている。これ以後も宗法的な考え方は中国社会に大きな影響を与えつづけ,特に宋代においては,新たに宗法の復活が論ぜられている。