●双分制 そうぶんせい
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一つの社会全体が二つの外婚半族に分かれている場合,そうした集団化を双分制と呼ぶ。したがって双分制というのは,基本的には半族組織と同じことを意味するが,かつてはそれよりも広い事象をさすことがあった。半族組織をもった社会のなかには,人間が二つの半族に分類されるだけではなく,自然のなかのあらゆるものが二つの半族のあいだで分かたれるような社会もある。たとえば,オーストラリアのポート=マッケー族では,半族はそれぞれユンガルー,ウタルーと名づけられており,動物や天体などもこの二つの半族のどちらかに属するものとして分類されている。つまり,ワニはユンガルーでカンガルーはウタルー,太陽はユンガルーで月はウタルーという具合である。そして,星座,樹々,植物そのほかすべてこのようにユンガルーかウタルーに分類されている。こうした事例を得て,双分制という概念は半族組織だけではなく,それに付随した二元的な分類様式をも含めた事象に適用されたわけである。しかし,半族をもたない社会においても,こうした二元的な分類は認められるのであり,今日一般には,社会組織とは切り離して,それを二元的な世界観として位置づけることが多い。そしてそれは,双分制とは独立した象徴的二元論と呼ばれている。【象徴的二元論】すべてのものを二元的に整理しようとする世界観は世界中に広くみられる。アフリカのニョロ族では,出産後男児の後産は家の戸口の右側に埋め,女児のそれは左側に埋める。そして,埋葬の場合には,男の死体は右を下に横たわらせ女の死体は左を下に横たわらせる。こうしたことは,ニョロ族では右と男,左と女が象徴的に結びついていることを表している。また,占い師が患者を占うとき,患者の左肩に棒を置いて「病気が治るよう,悲しみがなくなるよう,不妊がなくなるよう」と言ったのち,右肩に棒を置いて「富よ来たれ,子供がさずかるように,長命と幸福に恵まれるように」と唱える。右と左が混同されることなく,常にこうした文句を唱えることから考えれば,右は富・多産・喜び・健康といった観念と結びつき,左は貧困・不妊・悲しみ・病気といった観念と結びついていることがわかる。また,この社会の神話のなかで,神は右手を上げてあれが天だといい,左手を下に向けてこれが大地だという,という行があるが,このことは,右と天,左と地が象徴的に結びついていることを示している。つまり,ニョロ族の世界観は,右−男−富−多産−喜び−健康−天といった一連の象徴的な観念の結びつきと,左−女−貧困−不妊−悲しみ−病気−地といったものとによって二元的に整理されているのである。右と左を中心とした二元的な対立の図式は,はっきりとした形でないが日本にも見られる。左前という言葉でうまくいかないことを表し,左遷という表現で地位が落ちることを表すことから考えれば,左というものが悪いことを象徴していることがわかるであろう。一方,右に出るものはない,という表現からわかるように,右は良いことを象徴している。また,白い色を良いこと・善なることと結びつけるのに対し,黒い色を悪いことと結びつける傾向も見られる。つまり,日本においても右−良いこと−白,左−悪いこと−黒といった観念の連結が存在するわけで,二元的世界観の一端がうかがえよう。東南アジアのプルム族でも,同じく右−縁起の良いこと−男性という結びつきと,それに対立する左−縁起の悪いこと−女性という結びつきが見られるが,さらに,右の系列には,親族・家族・妻を与えてくれる人々,といった社会的な集団が結びつくのに対し,左の系列には,姻族・他人・自集団の女性を妻として受け取る人々といったものが結びついている。このことから考えれば,半族のような社会組織の存在が世界を二分する分類図式をつくり出すだけでなく,二元的な世界観のなかに,これら社会組織が整理される場合もあることがわかる。〔参考文献〕エミール=デュルケム,マルセル=モース,山内貴美夫訳『人類と論理』1969,せりか書房
R.エルツ,吉田禎吾・内藤莞爾訳『右手の優越』1980,垣内出版
R.ニーダム,三上暁子訳『構造と感情』1977,弘文堂