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●宗譜 そうふ

アジア 中華人民共和国 AD 

 中国における宗族の間でつくられた系譜のことである。しかしこれには,系譜以外に宗族の結合や統制に必要な記録,あるいは宗族の活動や栄誉に関する記録などが付加されているものが多い。こうした類のものはもともと中国に発達したものであるが,これが伝播して,越南地方の家譜や朝鮮半島の族譜,あるいは沖縄群島(那覇“首里”・八重山群島)の家譜などになっている。また,わが国古代の譜や近世の家譜にもその影響の見られるものがあるが,単なる名称や体裁に終わっている。それは,わが国に宗族制度が存在しないからである。宗親とは父系の同宗親族のことである。したがって,同姓でも同宗でなければその構成に加えられない。戦後香港などでは,同姓団体の宗親会の結成・活動が盛んであるが,これを宗族ということはできない。ただし中国では,古来同姓間では結婚が禁じられ(同姓不婚)ており,また,他姓から男子を迎え入れることも禁じられ(異性不養)ていて,同姓相互は他姓とは区別されてきている。しかしながら,同姓すなわち同宗とは言えないのであって,同宗であるためには始祖とのつながりが明白でなければならない。この関係は,宗族の歴史があまり古くなければ古老の伝承などでもわかるが,年代を経ると記録された証拠によらなければならない。その最も有力な記録が宗譜なのである。したがって,宗譜は,すでに宗譜を有する宗族から近くへ分遷した支族の場合は別として,普通,遷居後幾代か経て,ある程度経済的にも余裕のできた段階でつくられる。つまり,新しい土地に始遷者の子孫が繁栄し,他宗族を意識し,その結合を意識的に強化しなければならなくなったような段階で宗譜をつくる例が多いのである。したがって,宗譜はもともと系図が中心であって,この系図は祖先の名が書かれたものであるから,位牌のように尊信されたことがある。たとえば宋代,族譜亭が設けられ,譜を石に刻み人の集まるところに安置して拝んだといい,また明初,四時孟月(春夏秋冬の初めの月)に一族が会して譜を読んだり,毎月族人が集まって族譜図を拝したといわれる。華北や東北では,近代においても家譜を拝する風習があった。したがって,宗譜は単なる過去の記録ではなくて,祖先崇拝の信仰心に訴えて現実の族人(宗人)に一族団結についての関心を喚起させようとするものであった。族人が宗譜にその名を連ねるということは,これによって,族長の選挙・義荘の管理・義米の配分・義塾の経営・子弟の入塾・奨学金の受給などさまざまの権利や利益が受けられて,さらに,その宗族の栄誉や勢力を背景にして社会活動を営むことができるのである。しかし,こうした利益あるいは権利は,その反面,祭祀への参加・祠費の負担・宗祠の修理・義荘の経営・修譜費の負担・械闘への参加などを初め,さまざまな義務を履行せねばならない。また,家訓・家範の遵守,宗規宗約の実践など宗人としての生活規範に服従しなければならない。それで,こうした義務の履行を怠り,族人としての態度に欠けることがあると,一族の誡告・制裁を受けることがあり,重いものはその名を宗譜から削除される。もしも宗譜から削除されて,方人としての資格を失うようなことがあれば,その人はその地域社会より葬られるのであって,その打撃は深刻なものがあった。したがって,宗譜は一族の戸籍台帳ともいうべきもので,清末,族譜が盛んにつくられた地域では,役所の戸籍台帳より詳しいと言われたことさえある。それでは,族人の資格はいかにして獲得されるかというと,それは宗族内に生まれるということが絶対的な条件となっている。しかし,宗族内に生まれたといっても,夭折したり加冠笄字しないで死亡したり,あるいは未婚のまま死んだりした者は,族譜に記載するにしても,一般族人の場合に比べて格差を設けるのが普通であるが,その詳しい規定は宗族によって一定しない。また,いったん宗譜に記載されても僧侶や道士になって宗族を去った者,あるいは僕隷倡優楽芸巫祝などの職に身を転じた者も族譜から削除される。さらに,法令を犯したり,宗族の規定に背いたりした者も宗譜から削除される。他姓からの養子や入婿は認めない。女子の場合,嫁した者は,適(嫁するの意)としてその旨をしるし,迎えた妻は入譜を認めるけれども,妾は子女のある場合に限って入譜を認めることが多い。それで“譜有六不書”として,棄祖・叛党・刑犯敗倫背義・雑賤を挙げている宗譜も少なくない。“宗譜”は“族譜”とも言っているが,また“家譜”とも呼んでいる。この類のものには,その他にもいろいろな名称があるけれども,この三者が最も多く使用されている。これを現物についていえば,“宗譜”というものが圧倒的に多いのである。すなわち,日本に現存するこの類のもの1,252部についてみると,宗譜が573部で,全体の46%にあたる。族譜は206部で16%,家譜は156部で12%である。これを,アメリカの大学や図書館所蔵のものについてみても,1,238部のうち,宗譜は505部で41%,族譜は251部で20%,家譜は178部で14%となっていて,やはり“宗譜”という名称が圧倒的に多いのである。さらに,中国の北京図書館の蔵譜についてみても,345部のうち,宗譜は88部で26%,族譜は52部で15%,家譜も51部で15%で,“宗譜”という名称が多く,『現存中国宗譜目録』によると,875部のうち,宗譜・族譜家譜の三者は588部で67%を占めている。しかし,華北や東北地方では,宗譜とは別に家ごとに家譜があって,正月これを拝するところがある。家は宗族構成の単位となるもので,家族は家長によって統制され,それが各房派に所属して房長分派長などに統制され,さらに,族長によって統制される構造になっている。それでは,このような男系中心の組織体のなかで,親属はどのように限定されていたかといえば,それは五服制によっていた。もともと中国では,親属の範囲を決定するにあたって,親等計算法によらず礼法上の規定である服喪期間によっていたもので,これは,斬衰・齎衰・大功・小功・シマ※注1※の五等の区別があるところから,五服制と呼ばれていたのである。これによると,服喪せねばならないのは,父〜祖父〜曽祖父〜高祖父,および,前記四者のそれぞれの子〜孫〜曽孫〜玄孫である。自己の子から玄孫までももちろん五服の範囲である。それに,いずれの場合もその配偶者が含まれるが,ただし,曽孫・玄孫の配偶者は除外される。また,外姻としては妻の父母と母の父母・兄弟・姉妹・甥姪が含まれている。こうした服制図を宗譜に掲げているものが少なくないが,なかでも清末,安徽省桐城付近の宗譜には多い。しかしこのような親属のうち,宗譜に関係するのは本族内の親属に限定されるわけである。こうした宗譜は漢民族社会の所産であるが,その影響を受けて漢民族以外の民族間でもつくられている。ことに満州族の間で多く見られるが,蒙古族の間でも見られる。また,朝鮮からの移住者の子孫や回教徒の間でも修譜が行われている。しかしそれらの宗譜は,宗法や宗教上の相違,あるいは慣習や生活上の相違から,大宗族を基盤とするようなものではなかった。また宗譜は漢字で書かれるのが普通で,ベトナムの家譜にしても朝鮮の族譜にしても同様であるが,満州族や蒙古族の間でつくられたものには,満文,あるいは漢満両文で書かれているものがある。宗譜の目的は,宗族の団結を強固にしようとする意図,宗族の活動を活発にしようとする意図,宗族の秩序を統制しようとする意図を実現しようとするにある。それで,その内容は,祖先の祭祀や墳墓に関する墓記墓図祠記祠規・祭儀・祭法など,宗人の血縁的位置づけに関する世系・世表・宗派・遷居・輩行など,族人相互の助け合いに関する義田・義荘・義学・義冢など,宗族の社会的活動に関する家伝・徳行・任官・学問・文芸など,宗族の教化・統制に関する宗規宗約・家訓・家範などの記録より成っている。

〔参考文献〕多賀秋五郎『宗譜の研究』1960,東洋文庫

多賀秋五郎『中国宗譜の研究』1982,日本学術振興会

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